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文献番号 2026WLJCC021
京都女子大学 特任教授
手嶋 昭子
Ⅰ 事案の概要
本件は、抗告人が、戸籍法113条に基づいて、本件戸籍中、実父母との続柄欄に「長女」とあるのを「第○子」「子」と訂正することの許可を求めた事案である。原審は令和7年3月17日に本件申立てを却下する旨の審判をし、抗告人はこれを不服として本件抗告をしたが、大阪高裁は、原審判は相当と判断し、本件抗告を棄却した。
抗告人の性自認はノンバイナリーであり、令和7年8月には、関西GICネットワーク身体治療適応判定会議において、乳房切除術に係る治療適応の判定を受けている。また抗告人は奈良家庭裁判所に対し名の変更許可を申し立て、同年10月2日、抗告人の従前の名とふりがなをそれぞれ変更することを許可する審判を受け、同審判は確定している。
Ⅱ 判旨
以下、判旨の構成に沿って、その要点を整理する。
1.性別不合と法的保護
本決定は、日本学術会議の提言※2や性的指向及びジェンダー・アイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律(以下「LGBT理解増進法」という。)等に依拠した性の多様性に関する認識をもとに、抗告人が性自認は男性・女性のいずれにも属さないノンバイナリーであることを認定している。
さらに、性自認に関する医学的・社会的評価として、アメリカ精神医学会発行の「精神障害の診断と統計マニュアル」(DSM)及び世界保健機関(WHO)による「国際疾病分類」(ICD)における「性同一性障害」概念とその表記の変遷を確認し、それらを反映させた日本精神神経学会の最新のガイドライン※3にも言及した上で、「現在において、性自認の多様性は、医学的・社会的に承認され、性自認は、生来的な人の個性と観念されていると認められる」とする。
その上で、性別不合の当事者に関する文献資料※4に基づき、性自認に合致した戸籍上の性別変更がなされていない場合、公的取扱いや社会生活においては、現在もなお、戸籍上の性別を基準とした様々な区別が少なからず行われているため、性自認に従った社会生活上の取扱いを受けられないなどの社会的な不利益を受け、生活全般にわたって苦痛を受け、生き辛さを抱えることになることが指摘されてきたと述べ、このような性別不合の当事者が置かれた社会状況に対して、国内の法的取組みである性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(以下「特例法」という。)とLGBT理解増進法に言及し、また、最高裁の考え方として、最大決令和5年10月25日※5及び最二小決平成31年1月23日※6を取り上げ、最高裁が法的性別を個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益と説示していることを確認している。
2.現行法制の問題点
以上から、本決定は「現在では、医学的・社会的に人の生来的な個性と観念される性自認は、個人の人格的存在に直結する性質を有するものであり、人がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けること(すなわち、自らの性自認に合致しない法令上の性別の取扱いを受けないこと)は、それ自体として重要な法的利益であるとみるべきである」と説示し、それにもかかわらず、現行の戸籍制度及び特例法が、男性・女性という二元的な性別区分を前提として構成されており、ノンバイナリーの者については、その性自認に対応する戸籍上の表示方法や法的手続が存在しないため、自己の性自認に合致しない法的取扱いを受け続けることになり、戸籍制度がノンバイナリーの存在を前提とした表示方法を用意していない現状は、LGBT理解増進法の基本理念に反し、ノンバイナリーと他の性別不合当事者との間に無視し得ない取扱いの差異を生じさせていると説示した。
そして、この現状は、「自己の性自認に合致しない法令上の性別の取扱いを受けないという法的利益が人格的存在に直結する重要性を持つこと」と対比するとき、合理化するに値する十分な根拠も見出し難いとし、「上記現状は、平等原則を定める憲法14条1項の趣旨に抵触するものとして、是正すべき状態にあると考えられる」と判示した。
3.司法による救済の限界
もっとも、本決定は、戸籍制度に関する研究論文※7に依拠し、戸籍は、国民登録、親族登録及び(戸籍附票に住所地情報が記載されることを通じた)住民登録の役割を同時に果たす、日本人の身分証明書ともいうべきものであるとし、「戸籍事務は、全国的に統一された運用を図ることが求められ、したがって、戸籍に記載されるべき内容は、全国一律に定まっている必要があり、当該事案限りで適宜の記載をするような処理には親しまない」と述べている。
したがって、「憲法14条1項の趣旨に照らして、抗告人の戸籍における『実父母との続柄』欄をその性自認に合致する形に訂正する途を開くことが相当であるとしても、まずは、どのような記載に訂正されるべきであるかについて、現在の二元的な性別表記の在り方自体の見直しと共に検討することが必要であり、その要件及び手続についても、特例法による性別変更に準じた制度的枠組みの整備が不可欠である」とし、「このような見直しや具体的な制度の整備は、国会の立法の過程を通じて行われるべきものであり、かかる過程を経ることなく、どのような記載に訂正されるべきであるかにつき国民に共有された明確な指針が存在しないままに、非訟事件手続である家事審判手続において、家庭裁判所が本件限りで適宜の訂正を許可することは相当ではない」と判断した。
4.結論
以上から、本決定は、現行制度に憲法14条1項の趣旨に抵触する問題が存在することを認めつつも、裁判所が個別的な戸籍訂正を許可することはできないとして、本件申立てを却下した原審判を維持し、抗告を棄却した。
Ⅲ 検討
1.本決定の意義
本決定は、ノンバイナリーという性自認を有する当事者から、特例法による性別変更ではなく戸籍法113条による「父母との続柄」の記載方法の変更を求める前例のない事案について、性別二元論に基づく戸籍法の規定によりノンバイナリーとそれ以外の性別不合の当事者の間に無視できない取扱いの差異が生じているとし、その現状を、憲法14条の趣旨に抵触するものとして、是正すべき状態にあると判示しながらも、裁判所としては戸籍の記載を訂正することはできないとの結論を示した。
本決定の意義は、ノンバイナリー概念、性自認の多様性、医学的・社会的認識の変化、特例法の限界等を丁寧に論じた点、その上でノンバイナリー当事者の性自認を正面から認定した点、さらにその人格的利益の重要性を承認しながらも、現行戸籍制度の枠内では救済を与えることができないと司法的救済の限界を示した点にある。本決定は、憲法14条の判断事例として理解するだけでなく、現行法制度が性別の多様性をどのように包摂し、あるいは排除しているのかという観点から検討する必要がある。
2.非二元的性自認の承認と現行制度の包摂性の限界
本決定は、ノンバイナリー概念を説明した上で、抗告人がノンバイナリーに属すると認定し、性自認の多様性を医学的・社会的に承認されたものとして位置付けた。従来、性別不合の当事者から戸籍上の性別変更が申請される場合、女性か男性かどちらかの性への変更を求めるケースがほとんどであり、非二元的性自認、つまり「男性でも女性でもない」というアイデンティティそのものを裁判所が正面から論じたのは、公開されている裁判例の中では本件以外には見当たらない※8。
特例法自体も、性別不合の場合、戸籍上の記載を女性から男性へ、あるいは男性から女性へ変更することのみが前提とされており、不妊要件も外観要件も、いずれも結局は身体の状況を女性か男性かどちらかに近付けることを求めるものであり、そのどちらでもない状態を許容する制度になっていない。すなわち、現行制度は、広義のトランスジェンダーの中でもいわゆる「トランス男性」「トランス女性」のみが包摂され※9、ノンバイナリーが排除されている状況となっている。
これに対し、本決定は、法令上も裁判例においてもこれまで言及されてこなかったノンバイナリーの非二元的なジェンダー・アイデンティティを人格的利益に結び付け、当事者が自己の性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける法的利益を承認した。これまで排除されてきたノンバイナリーの権利主体性を裁判所が認め、包摂への一歩が踏み出されたといえるだろう。
3.憲法判断と救済の否定
本決定は、戸籍制度がノンバイナリーの存在を前提とした表示方法を用意していない現状につき、「憲法14条1項の趣旨に抵触する」と断じているが、明確に憲法14条1項に「違反している」とは述べていない。その上で、是正すべきであるとしながらも、全体的な制度設計は立法府の役割であり、裁判所が本件限りの個別の救済をすることはできないと判示した。いわゆる違憲状態判決に近似する構造であるが、なぜ、ノンバイナリーという性自認とその法的利益を承認し、制度の不備も指摘しているにもかかわらず、救済に踏み切らなかったのか。たとえば戸籍法113条の解釈により、抗告人の申立てを許可する余地はなかったのか。ノンバイナリーの存在とその人格的利益を認めながら、具体的救済は立法に委ねるという判断は、ジェンダー・アイデンティティの尊重という理念のレベルでは前進的である一方、具体的救済の面では限界を示したといわざるを得ない。
本決定が変更を拒否した「父母との続柄」とは、「長女/長男」「二女/二男」というような性別と出生順を合体させた表記であるが、このような表記を国民の身分関係を公的に登録する証明書に記載することは、世界的に例を見ない日本独自の制度である。これは江戸期までの近代的な法整備が行われていなかった時代から続く「跡継ぎは長男」という考え方をもとに、戦前の家制度における家督相続が長男による一子相続を原則とし、性別と出生順が重視されたことに依拠すると考えられる。戦後の民主化により家制度が廃止され、相続制度も均分相続となった。相続人も扶養義務者もその順位は、子の性別や出生順を問わない制度となっている。したがって、現在は、上記のような続柄を記録しなければいけない法的必要性はないといってよい。実際、住民票は全て一律に「子」と記載されるように変更されている。
確かに、長男・長女といった表現は、日常生活にも浸透したごく普通に使われている言葉であるが、その表記法を現代における戸籍で採用しなければならない法的な必要性・合理性がない以上、裁判所の裁量によりその表記を個別に訂正することに大きな支障があるとは考えにくい。戸籍制度全体の見直しや整備については、立法によることが適切であることは、本決定が指摘する通りであるとしても、こと、「父母との続柄」に関していえば、立法を待たなければいけないほど、その変更に慎重を期さなければいけない事項だろうか。重要な法的利益であると本決定が承認したはずのノンバイナリーの性自認の尊重よりも、旧来の続柄の記載を堅持することが果たして正当化されるのか、疑問なしとしない。
Ⅳ 最後に
自己の性自認が戸籍上の性と異なるセクシュアリティを有する者については、社会的認知が進んできたところであるが、メディアの報道や学術界からの発信等 においても中心的な関心は、男性から女性へ、女性から男性へ、「性の越境(トランス)」をアイデンティティとする人々についてであり、非二元的性自認であるノンバイナリーへの注目度は必ずしも高くはない。多くのノンバイナリー当事者は、生活のあらゆる側面において「女なのか、男なのか」を問われ続け、どちらにもなじめず、どちらも選択できないにもかかわらず押し付けられる男あるいは女という性別と格闘し交渉し続けているといわれている※10。これまで不可視化されてきたノンバイナリーの困難に向き合うことは、社会にあふれている男女の区別に果たして合理性があるのかを問うことになり、性別二元論によるカテゴライズの無意味さ、過剰さに目を向けることができるだろう。その点に関し、ノンバイナリーの法的利益を承認した本決定は、重要な意義を有する。
また、裁判所が自ら救済することは拒否したものの、戸籍制度や特例法の「現状を合理化するに足りる十分な根拠も見出し難い」とし、「憲法14条1項の趣旨に抵触するものとして、是正すべき状態」にあり、「現在の戸籍制度が、その果たす役割・機能に照らして基本的には維持されるべきものであることを踏まえても、左右されるものではない」と断じ、具体的な制度の見直しや整備が国会の立法の過程を通じて行われるべきとし、立法による解決の必要性を示した点は、一定の評価ができるだろう。本決定を契機に特例法や戸籍制度の抜本的見直しに改めて光が当てられることを期待したい。
(掲載日 2026年9月29日)
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