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第379号 二次的著作物(テレビ作品)の登場人物に係る表現を利用しているとして、原著作物に係る著作権の侵害が認められた事例(木枯し紋次郎事件)  

~知財高裁令和7年9月24日判決※1


文献番号 2026WLJCC017
早稲田大学法学学術院 教授
鈴木 將文


Ⅰ はじめに
 本件は、小説(言語の著作物)に係る著作権者が、当該著作物及びこれを原作とするテレビ作品※2において描写された登場人物に関し、被疑侵害者による当該人物の図柄(と著作権者が主張するもの)の利用について、著作権侵害を問えるかが問題となった事案である。不正競争防止法(以下「不競法」という。)2条1項1号又は2号の不正競争の成否も問題となったが、本稿では、著作権侵害に関する論点のみを扱うこととする。

Ⅱ 事案の概要
 亡笹沢左保こと亡Bは、「紋次郎」という名の渡世人を主人公とする「木枯し紋次郎」シリーズの小説(以下「本件小説」という。)を執筆し、本件小説を原作とする漫画(以下「本件漫画作品」という。)、テレビドラマ(以下「本件テレビ作品」という。)及び映画(以下「本件映画作品」という。)が制作された。亡Bの死亡後、本件小説の著作権は、亡Bの妻であるAが相続により取得し、X会社は、Aから亡Bの著作物の独占的利用の許諾を受けた。
 本件は、食品の製造販売等を業とする株式会社であるYがその商品(以下「Y商品」という。)の外装(ラベル又は外袋)にY図柄を付して製造販売したこと、及びY商品の画像をウェブサイトに掲載したことが、本件小説、本件漫画作品、本件テレビ作品又は本件映画作品に係る著作権(複製権又は翻案権、公衆送信権及び譲渡権)、X会社の独占的利用許諾を受けた地位を侵害するとともに、Y図柄を付してY商品を製造販売することは、不競法2条1項1号又は2号の不正競争に当たるとして、A及びX会社が、Yに対し、著作権法112条1項及び2項並びに不競法3条1項及び2項に基づき、Y商品の製造販売等の差止め及び廃棄を求めるとともに、民法709条及び著作権法114条3項並びに不競法4条及び5条3項1号に基づき、1億5126万1000円及び遅延損害金の支払を求めた事案である。
 なお、控訴審の審理の途中でAが死亡し、亡Aの子であるX1~4が訴訟承継した(以下、原告ら及び控訴人らを、「Xら」ということがある。)。また、控訴審において、金銭請求につき、X1~4は請求を減縮し(それぞれ2536万7280円及び遅延損害金の支払請求)、X会社は請求を拡張した(4億1123万3069円及び遅延損害金の支払請求)。

【Y図柄】

Ⅲ 判決の概要
1.一審判決(東京地判令和5年12月7日)※3

 「(1) 著作権法上の著作物は、『思想又は感情を創作的に表現したもの』(同法2条1項1号)とされており、一定の名称、容貌、役割等の特徴を有する登場人物が反復して描かれている一話完結形式の連載小説においては、当該登場人物が描かれた各回の文章表現それぞれが著作物に当たり、上記登場人物のいわゆるキャラクターといわれるものは、小説の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって、具体的表現そのものではなく、それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものということができない。そうすると、一話完結形式の連載小説に登場するキャラクターは、著作権法2条1項1号にいう著作物ということはできない(連載漫画についての最高裁平成4年(オ)第1443号同9年7月17日第一小法廷判決・民集51巻6号2714頁参照)。
 したがって、著作権者は、一話完結形式の連載小説に係る著作権侵害を主張する場合、その連載小説中のどの回の文章表現に係る著作権が侵害されたのかを具体的に特定する必要があるものと解するのが相当である。
 これを本件についてみると、原告らは、特定論において、著作権が侵害されたと主張する著作物につき、①通常より大きい三度笠を目深にかぶり、②通常よりも長い引き回しの道中合羽で身を包み、③口に長い竹の楊枝をくわえ、④長脇差を携えた渡世人という記述(以下『本件渡世人』という。別紙本件紋次郎表示目録参照)であると特定するにとどまり、本件渡世人を個別の写真や図柄等として特定するものではなく、その他に主張する予定もないと陳述している(第1回口頭弁論調書参照)。
 そうすると、原告らは、一話完結形式の連載小説に係る著作権侵害を主張する場合、その連載小説中のどの回の文章表現に係る著作権が侵害されたのかを具体的に特定するものではない。
 したがって、原告らの特定論に係る主張を前提とすれば、原告らは、本件書籍において著作権が侵害されたという著作物を具体的に特定しないものとして、その主張自体失当というほかなく、この理は、本件漫画作品、本件テレビ作品及び本件映画作品の一貫した中心人物として主張される本件渡世人についても、異なるところはない。
 仮に、原告らが、本件渡世人という記述に加え、本件書籍、本件漫画作品、本件テレビ作品及び本件映画作品の一貫した中心人物という趣旨をいうものとして特定しているとしても、上記中心人物は、本件書籍、本件漫画作品、本件テレビ作品及び本件映画作品の表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念をいうものであるから、原告らが特定するものは、具体的表現そのものではなく、それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものということができないことからすると、これを著作物であると認めることはできない。
 さらに念のため、本件渡世人に係る記述自体をみても、原告ら主張に係る本件渡世人は、①通常より大きい三度笠を目深にかぶり、②通常よりも長い引き回しの道中合羽で身を包み、③口に長い竹の楊枝をくわえ、④長脇差を携えた渡世人というものである。そして、証拠(乙1ないし15)及び弁論の全趣旨によれば、渡世人が、三度笠を目深にかぶり、引き回しの道中合羽で身を包み、長脇差を携えていたというのは、江戸時代の渡世人の姿としてありふれた事実をいうものであり、口に長い竹の楊枝をくわえるという部分を更に加えたとしても、これがアイデアとして独自性を有するかどうかは格別、著作権法で保護されるべき創作的表現という観点からすれば、その記述自体は明らかにありふれたものである。仮に、本件渡世人に対しその後本件テレビ作品で加えられた表現をもって二次的著作物とする原告らの主張に立って、『通常より大きい』三度笠で、『通常よりも長い』道中合羽で身を包んでいるという記述を加えて更に検討したとしても、これらの記述も同じく極めてありふれたものであり、原告らの上記主張の当否を判断するまでもなく、本件渡世人に係る上記記述は、全体として、ありふれた事実をありふれた記述で江戸時代の渡世人をいうものにすぎず、これを創作的表現であると認めることはできない。
 仮に、原告らが、特定論における上記主張にかかわらず、例えば本件テレビ作品の映像の一部(本件紋次郎表示目録参照)に係る人物写真に著作権を有することを前提として、著作権侵害を主張するとしても、被告図柄(被告図柄目録参照)との同一性を検討し得る部分は、結局のところ、本件渡世人に係る上記記述部分にとどまるものとなるから、当該記述部分が、ありふれた事実をありふれた記述で江戸時代の渡世人をいうものにすぎず、創作的表現に該当しないことは、上記において説示したとおりである。そうすると、本件テレビ作品の映像の一部に係る人物写真と、被告図柄との同一性を検討し得る部分は、明らかに創作的表現がない部分にとどまることからすれば、被告図柄の製作が複製又は翻案に該当しないことは、自明である(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。のみならず、被告図柄で記述された渡世人の姿についてみると、三度笠の大きさは、概ね背丈ほどもある巨大なものであり、江戸時代の渡世人の姿とは異なるものである。また、口にくわえるものも顔の数倍程度もあるものであり、これを直ちに竹の楊枝であると認識し得るものとはいえない。そうすると、被告図柄の記述自体からは、本件渡世人のような江戸時代の渡世人を直接感得することはできないことからすると、上記において同一性を検討し得るとした部分についても、著作権法の観点から仔細に検討すれば、そもそも同一性を欠くものといえる。
 (2) これに対し、原告らは、被告図柄が本件渡世人における表現上の本質的な特徴を維持している旨主張するものの、本件書籍の具体的表現を離れて、紋次郎という登場人物のいわゆるキャラクターをもって著作物ということはできず、本件テレビ作品の映像の一部に係る人物写真をみても、被告図柄と同一性を検討し得る部分は、江戸時代の渡世人の姿というありふれた事実をありふれた記述でいうにとどまり、創作的表現ということはできず、同一性を検討し得る部分も、そもそも同一性を欠くといえることは、上記において説示したとおりである。
 したがって、原告らの主張の実質は、本件書籍、本件漫画作品、本件テレビ作品及び本件映画作品において一貫して登場する紋次郎というキャラクターを保護すべき旨主張するものに帰し、原告らの主張は、表現の自由、創作の自由を保障するという観点から創作的表現に限り一定期間の保護を認めるという著作権法の趣旨目的のほか、前掲各最高裁判決が説示するところを正解するものとはいえない。
 したがって、原告らの主張は、上記認定を左右するものとはいえず、いずれも採用することができない。」

2.控訴審判決(知財高判令和7年9月24日)※4
(1)控訴の概要と控訴審判決の結論

 A及びX会社は、原判決を不服として、控訴した。上記「Ⅱ 事案の概要」で述べたように、控訴審審理中に、Aが死亡してX1~4に訴訟承継がなされるとともに、金銭請求についての請求の減縮及び拡張が行われた。
 控訴審は、著作権(翻案権及び公衆送信権)の侵害とこれに基づく不法行為を認め、Yに対し、上記不法行為による損害賠償として、X1~4のそれぞれに278万4193円及びこれに対する遅延損害金の支払を、またX会社に4518万2224円及びこれに対する遅延損害金の支払を、それぞれ求める限度でXらの請求を認める一方、その余の請求は棄却した。

(2)判旨※5
 「(2) 権利の帰属」
 「本件テレビ作品は、亡Bの本件小説を原作として制作されたものであり(前記第2の2(2)、前記(1)イ)、本件小説を原著作物とする二次的著作物であるところ、原著作物の著作者である亡Bは、二次的著作物である本件テレビ作品の利用に関し、本件テレビ作品の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有し(著作権法28条)、本件テレビ作品については、亡Bの権利と、二次的著作物である本件テレビ作品の著作者の権利とが併存することとなった(最高裁平成12年(受)第798号同13年10月25日第一小法廷判決・集民203号285頁)。そのため、亡Bは、二次的著作物である本件テレビ作品の原作の著作者として、二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利、すなわち、本件テレビ作品についての著作権(複製権又は翻案権、譲渡権、公衆送信権)を専有していたものであり(著作権法28条)、亡B死亡後は、亡Aが遺産分割によりこれを取得し、亡A死亡後は、控訴人X2、控訴人X3及び控訴人X4が遺産分割によりこれを取得したものである。
 (3) 依拠
 前記(1)カのとおり、被控訴人は、被控訴人のウェブサイト中のウェブページに、『紋次郎いかの由来』として、昭和47年(1972年)当時テレビで流行っていた木枯し紋次郎がくわえていた長い楊枝(ようじ)を串に見立てたことによる旨記載しており、この事実によれば、『紋次郎いか』の名称が本件テレビ作品の主人公である紋次郎(木枯し紋次郎)に由来することが認められるとともに、被控訴人図柄が本件テレビ作品に依拠して作成されたものであると推認される。
 他方、被控訴人が本件小説、本件漫画及び本件映画に接したことを認めるに足りる証拠はないから、被控訴人が被控訴人図柄を作成するに当たり、本件小説に直接依拠したとは認められず、本件漫画及び本件映画に依拠したとも認められない。
 (4)複製又は翻案の成否
 ア 前記(3)のとおり、被控訴人図柄は本件テレビ作品に依拠して作成されたものであると認められるから、被控訴人図柄が本件テレビ作品の画像の複製又は翻案であるかを検討することとなる。
 複製とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう(最高裁昭和50年(オ)第324号同53年9月7日第一小法廷判決・民集32巻6号1145頁)。
 また、翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的な表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。
 イ(ア) 別紙4『本件テレビ作品紋次郎』の画像(以下『本件画像』という。)は、・・・・・・本件テレビ作品の第1話『川留めの水は濁った』の一場面の画像であり、本件テレビ作品において描かれた紋次郎が登場している(甲6の1)。紋次郎は本件テレビ作品の主人公であり、本件画像に示されたのと同じ装いをし、その特徴をすべて兼ね備えた紋次郎の画像が、すべての本件テレビ作品に表現されている(甲6、弁論の全趣旨)。このように、本件画像は、本件テレビ作品の紋次郎の画像を具体的に示すものであるから、本件画像を被控訴人図柄と対比することにより、本件テレビ作品の紋次郎の画像と被控訴人図柄の対比が明らかにされるものと認められる。そして、本件テレビ作品が本件小説の二次的著作物であることからすれば、このような本件テレビ作品の紋次郎の画像は、本件小説の二次的著作物であると認められる。
 (イ) 本件画像に登場する紋次郎は、股引に脚絆を付け、三度笠をかぶり、道中合羽を身に着け、口に細長い楊枝をくわえ、長脇差を携えた男性であり、左向きで、顔は横顔が見えており、右足が地面につき、左足が上がっていて、歩いているか又は小走りをしている姿であると認められる。そして、かぶっている三度笠として、本件テレビ作品以外のテレビドラマや映画に登場する人物がかぶっている三度笠(乙3~7、30~34)よりも大きなものが用いられていると認められる。次に、道中合羽は、縦縞の模様であり、紋次郎の膝のあたりまで長さがあって、これも、本件テレビ作品以外のテレビドラマや映画等に登場する人物が身に着けている道中合羽(乙3、4、6、7、30~34)よりも長いものが用いられていると認められる。楊枝については、本件小説では約5寸、15センチメートル以上あると描かれているが(前記1(1))、本件画像でも同程度の長さの楊枝が用いられていると認められる。
 このように、本件画像の紋次郎は、①通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも大きな三度笠をかぶり、②通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長く、模様が縦縞模様である道中合羽を身に着け、③細長い楊枝をくわえ、④長脇差を携えているという特徴をすべて兼ね備える者として表現されている。
 ところで、本件テレビ作品の放映前には、上記①ないし④の表現上の特徴の全てを兼ね備える人物が登場するドラマ、映画等が存在していたとは認められない(なお、上記①ないし④の特徴の全てを兼ね備える人物が登場する小説が、本件小説が書かれる前に存在したとも認められない。)。そのため、上記①ないし④の表現上の特徴をすべて兼ね備えるという点は、本件画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる。
 (ウ) 他方、被控訴人図柄は、別紙2『被控訴人図柄目録』記載のとおりであり、人物の特徴を誇張して手で描かれた絵であり、俳優を実写した本件画像とは表現の方法が異なり、本件画像と比較して、手書きの絵であることによる新たな創作性が加えられているといえる。しかし、三度笠をかぶり、道中合羽を身に着け、口に細長い棒状のものをくわえ、長脇差を携えた男性を描いたものであることは、被控訴人図柄を見た一般人が容易に理解することができると認められる。
 そして、被控訴人図柄で描かれている人物は右向きで、顔は横顔が見えており、片方の足が地面につき、他方の足が上がっていて、歩いているか又は小走りをしている姿であると認められる。人物の顔は、口の周辺以外は三度笠で隠れており、三度笠は人物の顔に比べて非常に大きなものとして描かれている。道中合羽は太い縦縞の模様であり、人物の体の動きにより裾が空中に浮かび上がった状態で描かれているが、裾の部分を下におろした場合には地面に着くと思われるくらいの長さである。口にくわえている細長い棒状のものは、これが楊枝であるかどうかは被控訴人図柄を一見して明らかであるとまではいえないが、人物の横顔の幅よりもかなり長いものとして描かれている。
 (エ) そこで、被控訴人図柄から、本件画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる、前記①ないし④の表現上の特徴を感得し得るかについて検討する。
 被控訴人図柄の人物は、三度笠をかぶっており、その三度笠は大きなものである。被控訴人図柄の三度笠は、人物の顔の大きさと比べたとき、本件画像の紋次郎のかぶる三度笠よりも更に大きなものであるが、これは、三度笠が大きいものであるという前記①の特徴を被控訴人図柄において強調して表現したことによるものであって、前記①の特徴を感得することを妨げることはなく、むしろ容易にするものといえる。そのため、被控訴人図柄から本件画像の前記①の表現上の特徴(通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも大きな三度笠をかぶっていること)を直接感得することはできるものと認められる。
 被控訴人図柄の人物は、道中合羽を身に着けており、その道中合羽は縦縞模様で長いものである。被控訴人図柄の道中合羽は、人物の身長と比べたとき、本件画像の紋次郎が身に着けている道中合羽よりも更に長いものであるが、これは、道中合羽が長いという前記②の特徴を被控訴人図柄において強調して表現したことによるものであって、前記②の特徴を感得することを妨げることはなく、むしろ容易にするものといえる。また、本件画像の人物が身に着ける道中合羽は、縞が細いのに対し、被控訴人図柄の人物が身に着ける道中合羽は、それよりも縞が太く表されているが、これも、道中合羽が縦縞模様であるという前記②の特徴の一部を被控訴人図柄において強調して表現したことによるものであって、前記②の特徴を感得することを妨げることはなく、むしろ容易にするものといえる。そのため、被控訴人図柄から本件画像の前記②の表現上の特徴(通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長く、模様が縦縞模様である道中合羽を身に着けていること)を直接感得することはできるものと認められる。
 本件画像の紋次郎は、細長い楊枝をくわえているのに対し、被控訴人図柄の人物は、細長い棒状のものをくわえているが、それが楊枝であることは、一見しては明らかでないともいえる。しかし、口にくわえている細長い棒状のものが楊枝であることは容易に推測されるから、それが楊枝であることが一見しては明らかでないとしても、その点は、前記③の特徴を感得することを妨げるものとはいえない。そのため、被控訴人図柄から本件画像の前記③の表現上の特徴(細長い楊枝をくわえていること)を直接感得することはできるものと認められる。
 被控訴人図柄の人物も、本件画像の紋次郎も、長脇差を携えているから、被控訴人図柄から本件画像の前記④の表現上の特徴(長脇差を携えていること)を直接感得することはできるものと認められる。
 以上によれば、被控訴人図柄から、本件画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる、前記①ないし④の表現上の特徴をすべて感得し得るものと認められる。そして、前記(ア)のとおり、本件画像は、本件テレビ作品の紋次郎の画像を具体的に示すものであり、本件画像を被控訴人図柄と対比することにより、本件テレビ作品の紋次郎の画像と被控訴人図柄の対比が明らかにされるから、被控訴人図柄から、本件テレビ作品の紋次郎の画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる、前記①ないし④の表現上の特徴をすべて感得し得るものと認められる。
 ウ 上記(3)及びア、イによれば、被控訴人図柄は、人物の特徴を誇張して手で描かれた絵であり、俳優を実写した本件画像とは表現の方法が異なり、本件画像と比較して、手書きの絵であることによる新たな創作性が加えられた別の著作物であるから、本件テレビ作品の紋次郎の画像の複製には当たらない。しかし、被控訴人図柄は、本件テレビ作品の紋次郎の画像に依拠し、その画像の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的な表現に変更を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現したものであり、被控訴人図柄に接する者が本件テレビ作品の紋次郎の画像に係る表現上の本質的な特徴を直接感得することができるといえるから、被控訴人図柄は、本件テレビ作品の紋次郎の画像の翻案であると認められる。
 (5) 被控訴人の主張に対する判断
 ア 被控訴人は、前記第2の3(1)〔被控訴人の主張〕ア及びウのとおり、前記(4)イ(イ)の①、②及び④に係る特徴は、江戸時代の渡世人のごく一般的な表現であって、仮にこれらの要素が被控訴人図柄から感得できたとしても、著作権の対象となる創作的表現が共通しているとはいえず、同③の特徴についても、極めてありふれた渡世人の姿に長い棒状のものをくわえさせるという点は、アイデアにすぎず、この点が共通していたとしても著作権の対象となる創作的表現が共通しているとはいえないと主張する。
 しかし、三度笠をかぶり、道中合羽を身に着け、長脇差を携えた江戸時代の渡世人の姿が過去に存在したとしても、本件画像の紋次郎は、上記①について、通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも三度笠が大きい、上記②について、道中合羽が、通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長いという特徴も有しており、これらの特徴が江戸時代の渡世人のごく一般的な表現であるとか、極めてありふれた渡世人の姿であると認めるに足りる証拠はない。
 しかも、本件テレビ作品の紋次郎の画像は、上記①ないし④の表現上の特徴を全て兼ね備える人物として描かれており、この点において、それ以前の一般的な渡世人の姿との違いが認められるのであって、上記①、②及び④に係る特徴のみを取り出して、本件テレビ作品の紋次郎の画像に創作性がないと解することは相当でない。前記(4)イ(イ)のとおり、本件テレビ作品の放映前には、上記①ないし④の表現上の特徴を全て兼ね備える人物が登場するドラマ、映画等が存在していたとは認められない(なお、そのような特徴の全てを兼ね備える人物が登場する小説が、本件小説が書かれる前に存在したとも認められない。)ことから、上記①ないし④の表現上の特徴をすべて兼ね備えるという点は、本件画像に具体的に示されている本件テレビ作品の紋次郎の画像の創作的な表現をなす部分であり、表現上の本質な特徴をなすものと認められる。
 また、本件テレビ作品の紋次郎の画像は、俳優が衣装を身に着けて演じることによって、上記①ないし④の表現上の特徴を全て有する人物として具体的に描写されているのであって、上記③の特徴がアイデアにすぎないということはない。さらに、本件テレビ作品の紋次郎の画像は、上記①、②及び④の共通点に係る特徴を有する渡世人が、長い楊枝をくわえている姿として具体的に描かれており、その具体的に描写された姿が全体として創作性を有すると認められるのであるから、くわえている楊枝の長さが江戸時代の楊枝として通常の長さであるとしても、そのことをもって、本件画像に具体的に示されている本件テレビ作品の紋次郎の画像がありふれた表現であるとか、創作性を有しないということにはならない。
 イ 被控訴人は、前記第2の3(1)〔被控訴人の主張〕イのとおり、本件テレビ作品に描かれた紋次郎の画像と、被控訴人図柄の人物とでは、三度笠の大きさ、道中合羽の長さ及び長脇差の長さが異なると主張する。
 しかし、前記(4)イ(エ)のとおり、被控訴人図柄において、三度笠が本件画像の紋次郎がかぶっている三度笠より更に大きく、道中合羽が本件画像の紋次郎が身に着けている道中合羽より更に長い点は、本件画像の紋次郎の特徴を、被控訴人図柄において強調して表現したものといえ、本件画像の記(4)イ(イ)の①、②の特徴を直接感得することを妨げるものではない。被控訴人図柄と本件画像とで、長脇差の長さに違いがあるとしても、それは、長脇差を携えているという同④の特徴を共通にするものであって、これを直接感得することを妨げるものとは認められない。
 ウ 被控訴人は、前記第2の3(1)〔被控訴人の主張〕エのとおり、被控訴人図柄は本件テレビ作品に依拠していないと主張する。
 しかし、前記(1)カのとおり、被控訴人は、そのウェブサイトにおいて、『紋次郎いかの由来』として、『昭和47年(1972年)6月25日 するめ足に串を刺した醤油味の珍味が誕生しやした。名前の由来は、その頃テレビで流行っていた木枯らし紋次郎がくわえていた長い楊枝(ようじ)を串に見立てたことによるようでござんす。』との文章を一時期掲載していたと認められる。上記の記載は『紋次郎いか』の商品名の由来として記載されているが、これによれば、被控訴人が、『紋次郎いか』を販売する前に、本件テレビ作品が放映されているのを認識していたと認められ、この事実に加え、商品名に『紋次郎』の語を入れていることからすれば、被控訴人は、本件テレビ作品の紋次郎を基に、前記(4)イ(エ)のとおり本件テレビ作品の紋次郎の画像の本質的特徴を直接感得させる被控訴人図柄を製作したものと推認することができる。
 エ したがって、被控訴人の上記主張は、いずれも採用することができない。
 (6)著作権侵害の有無
 ア ・・・・・・被控訴人は、容器のラベル又は外袋に被控訴人図柄を付した被控訴人商品を製造することにより、本件テレビ作品についての翻案権を侵害したものと認められる。また、被控訴人は、容器のラベル又は外袋に被控訴人図柄を付した被控訴人商品の写真を、被控訴人のウェブサイトに載せていたと認められ(甲15)、これにより、本件テレビ作品についての公衆送信権を侵害したものと認められる。
 著作権法26条の2第1項の譲渡権は、著作物を原作品又は複製物の譲渡により公衆に提供する権利であるから、著作物を翻案したものの譲渡によって同項の譲渡権が侵害されたとは認められない。前記(4)ウのとおり、被控訴人図柄は、本件テレビ作品の紋次郎の画像の複製とは認められず、翻案に当たると認められるにとどまる。したがって、容器のラベル又は外袋に被控訴人図柄を付した被控訴人商品を譲渡し、引き渡しても、本件テレビ作品についての譲渡権の侵害は認められない。・・・・・・
 イ そして、上記著作権侵害の内容や、侵害が長期にわたったことに加え、被控訴人は、本件テレビ作品の放映後ほどなくして被控訴人図柄の商標登録出願をして登録を受けており(前記(1)エ)、知的財産権について理解があると考えられることなど、本件で認められる事情によれば、被控訴人には、著作権侵害につき、過失があったものと認められる。」

Ⅳ 検討
1.一審判決と控訴審判決の判断構造

 仮に、本件小説における「紋次郎」の描写をa、本件テレビ作品における「紋次郎」の描写をb、Yの図柄をcとすると、一審判決は、概ね次のような理由から、著作権侵害を否定している。
 ①aにつき、著作物性を認め得る具体的表現としての特定がなされていない(「一話完結形式の連載小説に係る著作権侵害を主張する場合、その連載小説中のどの回の文章表現に係る著作権が侵害されたのかを具体的に特定するものではない。」、「本件書籍において著作権が侵害されたという著作物を具体的に特定しないものとして、その主張自体失当〔である。〕」)。
 ②Xらが著作物として特定する「本件渡世人」(一審判決の別紙本件紋次郎表示目録参照)についても、具体的な特定に欠け、著作権侵害の主張自体失当である。
 ③仮にXらが「本件渡世人」という記述に加え本件テレビ作品等の一貫した中心人物という趣旨をいうものとして特定しているとしても、上記中心人物は抽象的概念であり、具体的表現そのものでなく、著作物とは認められない。
 ④「本件渡世人」の記述自体は、江戸時代の渡世人の姿としてありふれた事実をいうものにとどまる。
 ⑤「本件渡世人」の記述に加え、本件テレビ作品で加えられた表現を加味して更に検討しても、全体として、ありふれた事実をありふれた記述で江戸時代の渡世人をいうものにすぎず、創作的表現といえない。
 ⑥b(又はbに係る人物写真)についての著作権の侵害の主張と解しても、bとcとの間で、表現上の本質的特徴の同一性を検討し得る部分は、創作的表現がない部分であり、かつ、同一性は認められない。
 このように、一審判決が請求を棄却した理由は、Xらが主張の根拠とする著作物の特定がなされていないこと、及び、仮にその主張を善解して特定がなされているとしても著作物性を認められないということに尽きる。
 一方、控訴審判決は、aの著作物性を直接認定することはせず、本件小説(全体)が著作物であること、及び、本件テレビ作品がその二次的著作物であること、並びにb(「本件画像」をはじめとする「本件テレビ作品の紋次郎の画像」)は著作物であることから、bは、「本件小説の二次的著作物である」とし、そして、cからbの創作的表現をなす部分に係る表現上の本質的特徴を感得し得るとして、著作権(翻案権及び公衆送信権)の侵害を肯定したものと解される。
 控訴審判決が著作権侵害を認めるうえで、決め手となったのは、第一に、著作権法28条の解釈、第二に、b(「本件テレビ作品の紋次郎の画像」)の著作物性を認めたうえで、cがその翻案であるとした判断である。
 以下では、控訴審判決における上記二点の判断を中心として、検討する。

2.著作権法28条の解釈
 著作権法28条は、二次的著作物の利用に関する原著作物の著作権者(以下「原著作権者」という。)の権利について定めた規定である。その解釈については、周知のように、大きく分けて二つの説がある。問題となる二次的著作物の利用が、原著作物の創作的表現を当該二次的著作物が利用している部分に関するものであると認められる場合に限り、同条による原著作権者の権利が及ぶことを認める立場(以下「限定説」という。)と、上記の場合に限らず、原著作物の創作的表現が利用されているとはいえない場合(換言すれば、二次的著作物において独自に付加された創作的表現のみが利用されている場合)にも、なお同条による原著作権者の権利が及ぶとする立場(以下「無限定説」という。)とがある。
 学説では、限定説が支配的であると思われる※6。創作的表現の利用に関し著作者の権利を認めるという著作権制度の本来の趣旨に照らせば、限定説が当然の帰結であろう※7
 しかし、裁判実務では、最一小判平成13年10月25日(キャンディキャンディ事件)※8が、無限定説を採用した控訴審判決を支持しており、その射程が議論されている※9
 そのような中、本件控訴審判決は、無限定説を採った。すなわち、控訴審判決は、Yが「本件テレビ作品の紋次郎の画像」の翻案等をしたと認めたうえで、本件小説における紋次郎を描写した部分の著作物性を認定することなく(したがって、当然、当該部分の創作的表現が、上記画像に利用されているとの認定もなく)、単に、本件テレビ作品が本件小説を原著作物とする二次的著作物に当たることを理由として、Yの上記行為はXらの本件小説に係る著作権を侵害するとの結論を導いている。
 むしろ、控訴審判決が上記画像の表現上の特徴として指摘する、「①通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも大きな三度笠をかぶり、②通常のテレビドラマや映画等で用いられるものよりも長く、模様が縦縞模様である道中合羽を身に着け、③細長い楊枝をくわえ、④長脇差を携えているという特徴」のうち、三度笠が通常より大きいことや、道中合羽が通常より長く、かつ、縦縞模様であることは、(控訴審判決の認定における)本件小説の表現には見られない要素である。したがって、仮に、控訴審判決による、上記画像の表現の創作性の認定を肯定するとしても(その是非については後述する。)、それは本件テレビ作品において独自に付加されたものと解する余地が大きいと思われる。その点からも、無限定説を前提とせずに、控訴審判決のような判断を行うことはできないであろう※10。そして、本件控訴審判決については、同説に対する批判がそのまま妥当するというべきである。

3.著作物性の認定
(1)画像について

 本件テレビ作品が著作物(映画の著作物)に当たり、その一部を切り取った「本件テレビ作品の紋次郎の画像」も、基本的には著作物というべきであろう※11
 しかし、一般に、映画の著作物の一場面をなす、人物を描写した画像に関し、その創作的表現は、人物の外観上の特徴、人物の配置、アングル等の被写体の決定に係る表現とともに、映画の撮影に当たっての露光、陰影のつけ方、レンズの選択等の工夫が表現に現れる側面も、重要な要素となろう※12。本件における上記画像も、そのような種々の要素との関係で創作的表現が認められるべきものである。
 そして、上記画像と、Yの図柄との間で共通する特徴は、人物の外観に係る特徴にとどまる。上記のように、上記画像が著作物性を認め得るとしても、そのことから直ちに、人物の外観に係る特徴がそれ自体として著作物性(創作的表現であること)を認め得るとは限らない。この点に関し、本件控訴審判決が、人物の外観に係る特徴の著作物性を肯定している認定方法は、説得性に欠けると思われる※13
 すなわち、第一に、人物の特徴として指摘している諸点は、具体的画像から離れて抽象化されており、アイデアにとどまるのではないか※14、表現であることを肯定するためにはさらに説明を要するのではないかという疑問がある。
 第二に、本件控訴審判決は、人物の外観上の特徴が新規であることを理由として創作性を肯定しているが、創作性と新規性を混同しており、創作性の認定手法として説得性を欠く。そして、仮に、本件画像の人物の外観上の特徴を表現と認めるとしても、それらは、一審裁判所が述べたように、江戸時代の渡世人の姿としてありふれたものであって、創作性は認めがたいと思われる。

(2)本件小説における紋次郎の描写について
 言語の著作物における登場人物に関する表現が、独自の著作物と把握できるかについては、諸外国でも議論があるが、例えばこれを認めるとされる米国やドイツにおいても、実際に著作物性が肯定されるハードルは高い※15
 我が国の著作権法の下でも、理論上、小説等における人物像が独自に著作物性を認められることがあり得ないとはいえないだろうが※16、例外的な場合に限られるであろう。また、著作物性が認められるとしても、その対象はあくまで言語による具体的表現であるから、別の小説等の言語作品でその表現の本質的特徴が直接感得されるような利用がなされた場合に著作権侵害を認め得るのはともかくとして、視覚的な表現において、単に人物の外観が描写されている場合に、言語の著作物の表現上の本質的特徴を直接感得できる形で後者が利用されていると認めることは、稀であろう(もちろん、視覚的な表現と同時に、セリフを語ることによる言語上の表現がされる場合は別論である。)。
 本件事案については、本件小説の紋次郎に係る記述(控訴審判決の別紙3参照)のうち、紋次郎の外観の特徴自体はアイデアにとどまり、紋次郎が登場している場面を描写した具体的な表現が全体として創作的表現と認め得るにとどまると思われる。結局、本件小説における紋次郎の人物像自体を独立の著作物と認めることはできないと考えられる。
 著作物性の認定に関しては、全体として、一審判決の判断が妥当である。

4.その他
 本件控訴審判決が、Yによる翻案権侵害を認めつつ、譲渡権侵害を否定した点は、関連規定の適用方法として問題がある。すなわち、控訴審判決の翻案権侵害の認定を前提にすると、翻案した二次的著作物(Y図柄)の複製物の譲渡による公衆への提供につき、著作権法28条に基づいてXらはYが有するのと同一の種類の権利、すなわち譲渡権を有することになることから、譲渡権侵害も肯定することになるはずである※17


(掲載日 2026年7月21日)

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  • 金商1739号10頁、WestlawJapan文献番号2025WLJPCA09246001。
  • 本件控訴審は、Yが本件テレビ作品に依拠して本件図柄を作成した旨を認定していることから、テレビ作品のみに焦点を当て、漫画及び映画については触れない。
  • 判タ1527号247頁、WestlawJapan文献番号2023WLJPCA12079004。評釈として、金子敏哉・ジュリ臨増1610号(2025年)228頁、大熊裕司・コピライト777号(2026年)29頁、本山雅弘・Law & Technology110号(2026年)44頁、上野達弘「判例の動き Ⅳ 著作権法」年報知的財産法2025-2026(2026年)106頁、小口五大「最近の著作権判例について」コピライト779号(2026年)5頁等。
  • 前掲注1。評釈として、大熊・前掲注3・29頁、上野・前掲注3・107頁、小泉直樹・ジュリ1622号(2026年)8頁、小口・前掲注3・12頁、長谷川遼・ジュリ臨増1623号(2026年)228頁等。
  • 以下、〔〕を付した部分は引用者による補足である。
  • 差し当たり、中山信弘『著作権法〔第4版〕』190頁(有斐閣・2023年)、小泉直樹ほか『条解著作権法』383頁(横山久芳執筆)(弘文堂・2023年)を参照。また、本件控訴審判決の評釈における議論として、長谷川・前掲注4。
  • この論点については、すでに多数の論説があり、限定説を採るべき理由の詳細は前掲注6に挙げたもの及びそこに引用された諸文献に譲る。
  • 裁判集民203号285頁、WestlawJapan文献番号2001WLJPCA10250003。
  • 例えば、キャンディキャンディ事件最判の射程は、共同著作に近い実態がある事案に限られるとする、小泉ほか・前掲注6・389頁(横山執筆)を参照。
  • これに対し、小泉・前掲注4・9頁は、「本件小説の表現上の特徴は、ほぼ本件画像の表現上の特徴に引き継がれており、本件は、キャンディキャンディ事件とは異なり、二次的著作物のうち、原著作者の創作性の及ぶ部分が無断利用された事案であるという読み方も成り立とう」と述べる。しかし、「原著作者の創作性の及ぶ部分」についての認定がない以上、そのような読み方はできないであろう。
    また、本件控訴審判決の理解として、原著作物において、少なくともアイデアとしては提示されていた紋次郎という人物像を、二次的著作物において表現した画像が利用された事案につき、著作権法28条の適用を認めたのであって、同条に基づく原著作者の権利を全く無限定に認めたものと解するべきではないとの理解もあり得る。しかし、著作権法の解釈としては、表現が利用されているか否かが本質的に重要であり、アイデアの利用を判断基準に取り入れることは不適切と思われる。本件控訴審判決は、単に無限定説を採用したものとして捉えられ、批判されるべきものであり、あえて限定的な理解(限定説に近付ける善解)をする必要はないと考える。
  • 紋次郎の画像のデッドコピーを無断で作成したり、そのコピーをネット上にアップロードしたりする行為が、著作権侵害となり得ることは、異論がないであろう。
  • この点に関し、写真の著作物に関する判決であるが、東京高判平成13年6月21日(すいか写真事件、判タ1087号247頁、WestlawJapan文献番号2001WLJPCA06210002)が次のように述べていることが参考になろう。「写真著作物における創作性は、最終的に当該写真として示されているものが何を有するかによって判断されるべきものであり、これを決めるのは、被写体とこれを撮影するに当たっての撮影時刻、露光、陰影の付け方、レンズの選択、シャッター速度の設定、現像の手法等における工夫の双方であり、その一方ではないことは、論ずるまでもないことだからである。」なお、同事件の一審判決(東京地判平成11年12月15日、判タ1018号247頁、WestlawJapan文献番号1999WLJPCA12150001)は、被写体の選択、組合せ及び配置は創作的表現の特徴を構成する部分ではないとしており、これと同様に解するならば、本件事案の紋次郎の画像について、人物の外観的特徴は創作的表現を構成しない(アイデアに過ぎない)ということになろう。評者はそのような理解を採らないが、あり得る考え方ではある。
  • 以下については、上野・前掲注3・108‐109頁もほぼ同旨。
  • ちなみに、評者は、本件テレビ作品の初回放映時にこれを視聴した。紋次郎の描写のうち特に印象を受けたのは、楊枝をくわえている点であったが、その前後に見る機会のあった黒澤明監督の時代劇映画「用心棒」(1961年公開)で、三船敏郎が演じる主人公がやはり棒状のものを口にくわえている描写が印象深く、そのアイデアを借用したのかもしれないと思ったものである。実際に同映画が本件テレビ作品に影響したかどうかは不明であり、また、仮に影響したとしてもアイデアレベルにとどまるから、問題があるわけではない。むしろ、登場人物に楊枝をくわえさせるのはアイデアであり、あくまで、その人物を映像として描写した結果である具体的表現が著作物であることを実感させる好例とも思われる。
  • 一般に「キャラクターの保護」という表現が用いられることがあるが、「キャラクター」が保護されるといわれる米国でも、抽象的なイメージないしアイデアを保護するのではなく、あくまで表現として保護することを認めていると解される。その意味で、狭義の「キャラクター」(例えば、中山・前掲注6・224頁が「小説や漫画等の具体的表現から昇華した抽象的なイメージ」と定義するもの。本件一審判決も、この意味で「キャラクター」の語を用いている。)とは異なる(そもそも、アイデアを保護するならば、「著作権の保護は、・・・・・・思想、手続、運用方法又は数学的概念自体には及んではならない」とするTRIPS協定9条2項に違反することになろう。)。米国では、判例上、the “sufficiently delineated” test(「十分な描写」テスト。Nichols v. Universal Pictures Corp., 45 F2d 119(2d Cir.1930)に基づく。)や、特に言語の著作物における人物に関するthe “story being told” test(「語られる物語(それ自体)」テスト。Warner Bros. Pictures v. Columbia Broadcasting System, 216 F.2d 945(9th Cir. 1954).ダシール・ハメットの小説「マルタの鷹」の主人公のサム・スペードにつき、「語られる物語を真に構成しているわけでなく、物語を語るゲームの駒にとどまる」として、独自の著作物性が否定された。)等の下、判断がなされている。学説は、裁判所の判断が安定していないと指摘するものが多く、また、そもそも独自に著作物性を認めるべきでないとの議論もなされている。Jani McCutcheon, Works of Fiction: The Misconception of Literary Characters as Copyright Works, 66 J. COPYRIGHT SOC’Y U.S.A. 115(2018)(独自の保護に反対); Caitlin E. Oh, Inside Out, Upside Down : Circuit Court Confusion Over Character Copyrightability, 72 EMORY L. J. 629(2023)(連邦控訴審裁判所の巡回区ごとの判断基準の相違による問題を指摘し、解決案を提示); Michael W. Carroll, Copyright in Characters: A Proposal for Reform, 58 AKRON L. REV. 377(2025)(主要学説を紹介したうえで、独自の保護を否定すべしとしつつ、当面の対応として厳格な保護基準を提案); 1 Nimmer on Copyright §2.12(2026)(本来、独自の保護対象の問題でなく、侵害認定における実質的類似性の判断の問題であるとしつつ、関連する裁判例を紹介)等を参照。また、ドイツについては、例えば、「絵画的に描かれた人物像と異なり、小説上の人物の体形や外観は、通常、十分に個性を与えられておらず、したがって著作権による保護を受けられない」と説明されている(Dreier/Schulze/Raue, 8. Aufl. 2025, UrhG §2 Rn. 221)。
  • 例えば、小説の中で、人物像を個性的な表現方法で描写した場合、その人物に係る表現が独立して著作物性を認め得ることはあり得よう。特に、例えば一つの章でまとめてそのような記述をした場合、独立の著作物と認めやすいであろうが、理論的には、小説内の各所で分散して記述をした場合でも、同様に扱うべきと思われる。
  • 同旨、長谷川・前掲注4・229頁。




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