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文献番号 2026WLJCC008
早稲田大学 教授
鈴木 將文
Ⅰ はじめに―標準必須特許の権利行使に関する問題※2
標準(規格、技術標準等ともいう。)とは、品質確保、相互接続可能性、先端技術の普及等を実現するために、産業で利用される技術について一定の取決めを行う場合、その取決めをいう。標準必須特許(standard essential patent; SEP)とは、標準に組み込まれた技術を対象とする特許を指す。ネットワーク化・モデュール化が進展し、またIoTが一般化する今日、通信規格をはじめとする標準の意義はますます高まり、標準必須特許の重要性も増している。
標準必須特許については、自由な権利行使を認めることに問題があることが、かねてから指摘されてきた。すなわち、自由な権利行使(特に、侵害行為に対する差止め)を認めると、標準利用者(一般に、”implementer”(実施者)と呼ばれることから、以下「実施者」という。)は標準を採用する製品等の市場に参入するために非常に高額なライセンス実施料を支払わざるを得なくなる(ホールドアップ問題)。また、一つの標準につき多数の標準必須特許が存在することが通常であり、特許ごとに実施料を積み上げると高額になる(ロイヤルティ・スタッキング問題)。
他方、上記の問題を懸念するあまり、権利行使の制限が行き過ぎれば(例えば、実施者の交渉遅延策を放置するなど)、特許権者は発明に対する適正な対価を得られなくなり、結果的に、先端的な技術を組み込んだ魅力ある標準の策定が困難になる(ホールドアウト問題)。
そこで、標準必須特許に関しては、特許権者に対して標準に参加するインセンティブを与えつつ、標準が広く普及するように、特許権者と実施者のそれぞれの利益のバランスを確保することが課題である。その課題に対応するための工夫として、標準設定機関は、特許発明が標準を構成する技術に採用される場合、特許権者(権利成立前は出願人)に対し、特許に係る情報を開示させるとともに、将来、標準を実施する者に対して「公正、合理的、かつ非差別的な(fair, reasonable and non-discriminatory)条件」(以下「FRAND条件」という。)でライセンスをする旨を宣言※3させる仕組みを設けることになった。現在、主要な通信規格をはじめ、多くの標準につき、かかる仕組みが適用されている※4。
このように標準と特許の関係については、調整する仕組みが作られているものの、標準必須特許(以下、原則として、FRAND宣言がなされたものを単に「標準必須特許」という。)の特許権者と実施者の間でライセンス条件につき合意できない場合は、紛争が不可避である。特に21世紀初頭以降、通信規格関連を中心として、標準必須特許を巡る紛争が世界中で多発してきた。
2010年代半ばまでには、主要諸国の裁判例によって、標準必須特許の権利者と実施者は、いずれもFRAND条件によるライセンスの実現に向けて誠実に交渉をするべきであり、そのようなライセンスの締結への意思を有する者(willing licensor/licensee)に当たらない者は不利に扱われる(特に、willing licenseeに対して直ちに差止請求権を行使することはできない)という考え方がほぼ確立した。我が国でも、2014年、アップル対サムスン事件の知財高裁特別部による判決及び決定(以下、それぞれを「大合議判決」、「大合議決定」、さらに併せて「大合議判決等」という。)が、権利濫用法理に基づき、標準必須特許に係る権利行使を制限する判断を示した※5。
その後、我が国では、標準必須特許に係る権利行使の是非を正面から扱う判決は見られなかった中、本判決は、これを扱うとともに、標準必須特許権に基づく差止めを肯定した点で我が国初の事例である。
なお、本判決と近接して、標準必須特許に係る特許権侵害事件に関し、東京地判令和7年4月10日※6(本判決の原告パンテック社が、ASUS JAPAN社を訴えた事案。差止廃棄請求は棄却し、損害賠償請求につき、FRAND条件によるライセンス料相当額の限度で一部認容)及び大阪地判令和7年7月10日※7(本判決と同じ原告と被告間における、本件と同一特許権を根拠とし製品名”Pixel 7a”を対象物件とした差止請求事件。請求棄却)が出ている。
Ⅱ 事案の概要
X(原告)は、発明の名称を「物理ハイブリッド自動再送要求指示チャネルのマッピング方法」とする特許に係る特許権を有している。本件特許は、ETSI(欧州電気通信標準化機構)が策定した通信規格であるLTE規格との関係で標準必須特許に当たり、Xは、ETSIのIPRポリシーに従って、本件特許のファミリーである日本国特許につきFRAND条件で取消不能なライセンスを許諾する用意がある旨のFRAND宣言をしている。
Y(被告)は、被告製品(製品名を”Pixel 7″とするLTE通信が可能な通信端末)につき業として譲渡等をしていたところ、Xは、令和2年6月12日付けでG社(Yのグループ会社)にレターを送り、本件特許権に関するライセンス交渉を提案し、G社は令和2年7月7日付けレターで、Xの標準必須特許につきFRAND条件でライセンスを受ける意思がある旨等を表明し、両者間の交渉が開始した。
しかし、交渉はまとまらず、Xは、令和4年8月17日、Yに対し、Yによる被告製品の旧機種の販売等の行為が本件特許権を侵害するとして、同行為の差止めを求める仮処分を申し立てた。これに対し、東京地裁は、令和5年6月30日、YがFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しており、Xの差止請求権の行使は権利濫用に当たるとして、Xの申立てを却下した。さらに、Xの即時抗告を知財高裁が棄却した※8。
Xは、令和5年8月17日、Yに対し、本件特許権の侵害を理由として被告製品の譲渡等の差止めを求める本件訴訟を提起した。
Ⅲ 判旨
1.結論
請求認容。裁判所の職権により、仮執行宣言が付された(1000万円の担保が条件)。
2.Xの権利行使の権利濫用該当性
本判決では、被告製品の特許発明の構成要件の充足性及び本件特許に係る無効事由の存在も争点となっているが(結論として、充足性を肯定、無効事由を否定)、標準必須特許特有の問題である権利濫用該当性の部分のみを紹介する。
「4 争点3(本件特許権に基づく差止請求権の行使が権利濫用に当たるか)について
(1) 判断基準
標準規格に準拠した製品の製造等に実施が必須となる特許(標準必須特許)を有する者が標準必須特許に対しFRAND宣言をした場合(以下、当該者を『必須宣言特許権者』という。)、上記製品の製造等をする者(以下『必須特許実施者』という。)は、標準必須特許についてFRAND条件によるライセンスを受けられることを前提として、上記製造等をすることになる。それにもかかわらず、必須宣言特許権者が、上記ライセンスを受けられるものと信頼している必須特許実施者に対し、標準必須特許に基づく差止めを請求することは、必須特許実施者の合理的な信頼を著しく損なうことになり、正義・公平の理念に反するものといえる。
他方、必須宣言特許権者は、上記ライセンスに係る実施料相当額を取得できることを前提として自らFRAND宣言をしたのであるから、上記実施料相当額を取得することができる場合には、必須特許実施者に対し差止請求をする必要性及び相当性を明らかに欠くものといえる。
そうすると、必須宣言特許権者が必須特許実施者に対し標準必須特許に基づく差止めを請求することは、必須特許実施者がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しないという特段の事情がない限り、権利の濫用として許されないというべきである。
(2) 認定事実
〔一部省略。XがG社に対し令和2年6月12日付けレターによりライセンス交渉の提案をして以降、本件訴訟提起後の令和6年2月10日の原告によるG社再提案の拒絶までの、当事者間の交渉の経緯を認定。〕
フ 当裁判所は、令和6年7月23日、本件の第3回弁論準備手続期日において、当事者双方に対し、侵害の心証を開示した上、和解勧告をし、日本の裁判所においてグローバルSEPポートフォリオを前提とした和解協議を行う意向があるかどうかを確認し、被告に対し、日本の裁判所において和解協議を行う意向がある場合には、同年9月6日までに、G社再提案の内容を維持するかどうかも含め和解の方向性について検討し、具体的な案を提案するように求めた。これに対し、原告及び被告は、上記期日後、本件訴訟手続においてグローバルSEPポートフォリオを前提とした和解手続を行う意向がある旨を回答した。(顕著な事実)
ヘ 被告は、上記フの当裁判所からの指示を受けて、被告の和解案を提示した。被告の和解案の内容は、端末1台当たりのロイヤリティ額●(省略)●ドルにG社及びその関連会社によるPixelPhone(全てのモデルを含む)の過去及び将来における想定販売台数の合計数を乗じて得られた額を基準とした一括払を提案するものであり、その金額はG社再提案と実質的に同一であった。(顕著な事実)
ホ 当裁判所は、令和6年9月30日、本件の第4回弁論準備手続期日において、被告に対し、ライセンスを受ける意思がある場合には、大合議判決が示した算定方式(最終製品の売上高を算定の出発点とするものをいい、以下『大合議方式』という。)を踏まえ、比較アプローチをも参酌し、改めて和解案を提案するように求めた。(顕著な事実)
マ 被告は、上記ホの当裁判所からの指示を受けて、G社内で検討を重ねたが、裁判所から提案を受けた方法に基づいて更なる和解案を提出することは困難であるとし、その理由として、①本件は、大合議判決の事案とは異なり、対象製品であるG社の4G、5Gの製品群には遥かに多様なモデルが含まれているため、大合議方式をそのまま適用することは、算定を過度に複雑にするものであること、②被告和解案における提案内容は、大合議方式に基づいた場合の案と同等であるか、むしろ、原告にとってより有利な内容であるなどと述べて、各侵害品の種類に応じた販売額及び販売数を一切開示しなかった。(顕著な事実)
ミ 当裁判所は、令和6年12月6日、本件の第5回弁論準備手続期日において、被告において裁判所が勧告した和解案を提出することはできないと述べたことから、和解協議を打ち切った。(顕著な事実)
(3) 当てはめ
ア 前記認定事実によれば、原告の提案内容は、一貫して、侵害品の売上高を基準とし、これに標準必須特許の実施に対し受けるべき料率を乗じた上、原告の標準必須特許の保有割合を乗ずる算定方式を採用していたのに対し、G社の提案内容は、一貫して、侵害品の販売台数を基準とし、これに一般的なスマートフォン1台当たりの累積ロイヤリティ額一律●(省略)●ドルの固定額を乗じた上、原告の標準必須特許の保有割合を乗ずる算定方式を採用していたため、当事者双方が提示するライセンス条件に係る数値等に互換性がなかったことから、これ以上の調整が困難となり、原告及び被告はライセンスの合意に至らなかったことが認められる。
そして、前記認定事実によれば、上記算定方式の相違に鑑み、裁判所は、当事者双方に対し、本件特許権侵害の心証を示した上、原告のグローバルSEPポートフォリオを対象とする和解を勧告したところ、当事者双方は、当該和解協議を日本の裁判所で行うことに同意したため、裁判所は、当事者双方が提示するライセンス条件に係る数値等に互換性がなかったことから、最終製品の売上高を算定の出発点とする大合議判決を基準として、上記和解協議を調整することとし、被告に対し、ライセンスを受ける意思がある場合には、大合議方式を踏まえ、和解案を提示するよう求めたことが認められる。
しかしながら、被告は、裁判所に対し、大合議方式によれば、算定が過度に複雑になるため、和解案を提示することはできないと回答し、侵害品の販売額及び販売台数すら一切開示しなかったことが認められる。
そうすると、被告は、裁判所の和解勧告に同意したにもかかわらず、侵害品の販売額及び販売台数の開示を拒み、大合議方式による和解案を提示することなく、自らライセンス交渉の余地をなくしたのであるから、裁判所による上記求めの文字どおり、被告には、ライセンスを受ける意思があるものと認めることはできない。
これらの事情の下においては、被告はFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しないという特段の事情があるものと認めるのが相当である。
したがって、原告が被告に対し本件特許権に基づく差止めを請求することは、権利の濫用として許されないということはできない。
イ これに対し、被告は、被告和解案の提示には合理性があるなどとして、ライセンスを受ける意思を有しないという特段の事情があるとはいえないと主張するため、以下検討する。
(ア) 被告は、裁判所の求めに従って大合議方式に従った和解案を提示しなかった理由につき、G社の4G、5Gの製品群には多様なモデルが含まれている以上、大合議方式を適用した場合には、ロイヤリティ額の算定が過度に複雑となるとして、被告が大合議方式を基準とする和解協議を拒んだことに、合理的な理由がある旨主張する。
しかしながら、被告は、モデルの種類、価格の違いなどについて明らかにしておらず、そもそも、どの程度算定が複雑となるのかについて具体性のある説明をするものではない。そして、原告の主張を前提とすれば、G社製品のうち、3G規格、4G(LTE)規格及び5G規格を採用し、原告のグローバルSEPポートフォリオを実装しているスマートフォン端末は、派生モデルを含めても全28製品程度にすぎず、大合議方式を適用した場合に算定に手間が掛かること自体は否めないとしても、製品ごとの販売価格及び販売数量を確認しさえすれば、算定自体が困難であるということはできない。そうすると、被告が大合議方式を基準とする和解協議を拒んだことに合理的な理由を認めることはできない。
(イ) 被告は、被告和解案の内容は大合議方式によるよりも原告にとって有利な条件を提示するものであり、大合議判決の趣旨にも整合するから、被告の対応は何ら不合理なものではない旨主張する。
しかしながら、被告は、大合議方式を基準とする和解協議すら拒んだのであるから、大合議判決の趣旨にも整合するという被告の主張は、明らかに根拠を欠くというほかない。そして、被告は、裁判所からの求めにもかかわらず、侵害品の販売額及び販売台数の開示を拒み、裁判所に対し、被告和解案が原告にとって有利かどうかを実際に検討する余地すら与えなかったのであるから、被告の主張は、失当というほかない。
のみならず、被告和解案自体を検討しても、前記認定事実(セ、ハ、ヘ)及び証拠(乙17)並びに弁論の全趣旨によれば、G社又は被告は、自社製品に限定されない一般的なスマートフォンの平均価格を前提として1台当たりの累積ロイヤリティ額を算出したものであり、G社又は被告の対象製品の実際の販売台数と販売価格を反映したものではない点において、大合議判決の趣旨に整合するものとはいえない。また、被告が主張する大合議方式と被告和解案との比較(前記第3の3(被告の主張)(2)エ)についても、被告製品への当てはめはPixel Phoneの平均販売価格を前提として算定するものであり、当該価格が実際の販売状況を反映させて算出されたものかどうか直ちに明らかではなく、各価格帯における販売数量の差異を反映するものではないことからしても、被告和解案が、大合議方式で算出した場合と比較して原告にとって有利な条件であるといえるかどうかは、不明といわざるを得ない。
(ウ) 被告は、本件のように多種多様なモデルを対象としたライセンス契約においては、平均的なスマートフォンの価格を基準として、製品1台当たりの累積ロイヤリティ額(固定額)を算出することも十分に合理的であるなどとして、自らの提示する案の正当性を主張する。
しかしながら、当事者双方が提示するライセンス条件に係る数値等に互換性がなかったことから、これ以上の調整が困難となっていたという経過等に鑑み、当事者双方が裁判所の和解勧告に応じたことをも踏まえ、裁判所において大合議方式に基づく和解案の提示を求めていたという本件の事情の下では、たとえ被告の提案内容に一定の合理性があったとしても、被告は自らライセンス交渉の余地をなくしたというほかなく、被告の主張は、前記認定を左右するものとはいえない。
(エ) 被告は、その他にも、大合議方式によることが困難な理由や被告和解案は大合議判決の考え方と整合するものであることも含め、対案の算定根拠等について適時に説明義務を尽くしてきたなどと縷々主張する。
しかしながら、被告和解案が、実際の被告の販売状況を反映するものではない点において大合議判決の考え方と整合しないことは、前記において説示したとおりであり、他方、被告が、裁判所の和解勧告に一旦応じながらも、和解案を提示すること自体不可能ではなかったのに、裁判所からの求めにかかわらず、その提示を拒んだという事情を踏まえると、適時に説明を尽くしてきたという上記の被告の主張は、上記認定に係る被告の不誠実な対応に照らすと、明らかに前提を欠くものである。
(オ) したがって、被告の主張は、いずれも採用することができない。
ウ なお、原告は、当事者間での交渉経緯のみからもG社の不誠実な交渉態度は明らかであり、G社がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しないという特段の事情がある旨主張するため、念のため、この点についても簡潔に判断を示しておくこととする。
前記認定事実に加え、証拠(乙9、15)及び弁論の全趣旨によれば、①G社は、原告に対し、FRAND条件によるライセンスを受ける意思の表明と同時にNDA締結に向けての交渉を申し入れ、令和2年11月19日までの間、継続的に原告と交渉をしたこと(同イないしエ)、②G社と原告は、G社NDA案9条についての見解が相違したため早期にNDAを締結することができなかったものの、G社は、NDAの交渉が中断している間も、原告から開示を受けたクレームチャート等の検討をし、令和3年10月18日にはその検討を終えていること(同エ、コ)、③G社は、原告当初提案を受け、同提案が合理的なものであるとはいえない理由を、根拠を示しつつ指摘し、G社対案を提示していること(同セ)、④G社が行った上記③の指摘自体は、その内容において特段不合理なものとは認められないこと、⑤原告は、G社の上記④の指摘に対して何ら説明をすることなく、原告当初提案のライセンス料率を維持し、G社の製品の販売状況を反映した提案をするのみであったこと(同ソ)、⑥原告は、G社にライセンスを受ける意思がないと判断した旨連絡し、仮処分の申立てをするに至っているが、G社の上記④の指摘に対して誠実に回答するなど交渉を進めるために取り得る方策を必ずしも果たしたとはいい難いこと(同ツ)、⑦G社は、その後も、本件訴訟手続と並行して原告と交渉を継続し、原告からのライセンス条件の提示に対応し、自らも複数回ライセンス条件の提示を行ったこと(同ト、ニないしヒ)、以上の事実が認められる。
上記認定事実によれば、G社及び被告は、原告からライセンスを受けるよう求められた際、速やかに真摯に協議する意思があることを表明して以降、NDAの締結、ライセンス対象となる特許の特定、当該特許の充足性及び有効性の確認、5G規格との対応関係の確認、ライセンス条件の確認ないし交渉その他の事情により時間を要したものの、原告とのライセンス交渉に対し、できる限りの対応をしていたといえる。そして、このような交渉にもかかわらず、原告とG社又は被告が、ライセンスの合意に至らなかったのは、当事者双方が提示するライセンス条件に係る数値等に互換性がなかったことから、これ以上の調整が困難となったことを理由とするものであることは、前記において説示したとおりである。
これらの事情の下においては、少なくとも当事者間での交渉経緯のみによっては、被告がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しないという特段の事情があるものと認めることはできない。
したがって、原告の主張は、採用することができない。」
Ⅳ 検討
1.本判決の意義
上記のとおり、本判決は、標準必須特許に係る特許権に基づき、実施者に対する差止めを認めた、我が国初の判決である。
標準必須特許に係る特許権の行使については、諸外国において裁判例が蓄積する一方、我が国では、大合議判決等以降事例が乏しかった。それだけに、本判決は、地裁による一判決とはいえ、貴重な裁判例であるとともに差止めを肯定した点で、社会的にも注目されている。
しかし、本判決の内容については、結論の是非は別として、理由付けに関し、判断基準の明確性及びあてはめの説得性がいずれも十分ではないと思われる。大合議判決等から十余年が経過し、その間に、国際的には標準必須特許の権利行使に関する議論が進展し精緻化している中、我が国の裁判所として、この問題について明確で説得力ある考え方を示してほしかったところであるが、その課題は今後に委ねられたといわざるを得ない。
2.分析
(1)「判断基準」について
①大合議決定との比較
本判決は、標準必須特許に基づく差止請求につき、FRAND条件のライセンスを受けられることに関する実施者の信頼を保護する必要性と、特許権者に当然に差止めを認める「必要性及び相当性」を欠くこととを理由として、実施者がFRAND条件によるライセンスを受ける意思(以下、実施者と特許権者のFRAND条件によるライセンスを締結する意思を「FRAND意思」ということがある。)を有しないという特段の事情がない限り、権利濫用に当たり許されないとの判断基準を掲げている。
これは、基本的には、大合議決定が述べていたところと重なるが、同決定と比較していくつかの違いも見られる。
第一に、大合議決定は、標準必須特許特有の問題、特にホールドアップ問題について具体的に説明していたのに対し、本判決は同問題に言及せず(大合議決定の引用もしていない。)、専らFRAND宣言の当事者に対する影響について説明しているにとどまる。これは、単に説明の簡略化ということなのかもしれないが、標準必須特許に係る基本的な問題に触れないのは、不十分と思われる(なお、ホールドアップ問題を指摘した場合には、バランス上、ホールドアウト問題も指摘するべきであろう。)。
第二に、細かな文言上の違いが見られる※9。
第三に、権利濫用に関する主張立証責任の分配について、大合議決定と異なる立場をとっているように見える。すなわち、大合議決定は、差止請求を制限するために、実施者側が自らのFRAND意思の存在を主張立証することを求めていた。それに対し、本判決は、特許権者側が、実施者にFRAND意思がないという特段の事情の主張立証をしない限り、差止請求は権利濫用として許されないとしているように読める※10。大合議決定の示した主張立証責任の分配を、特許権者にとって厳しい方向にあえて変更した理由は、不明である。
②大合議判決等の位置付けの再確認
大合議判決等の位置付けについて付言しておきたい。本判決に関し、大合議決定の立場は「専ら『ホールドアップ』を重視し」、「アンチパテント」を反映したものであったと理解し、本判決と大合議決定の基本的な姿勢の違いを強調しつつ、前者を評価する論評がある※11。しかし、そのような見方には必ずしも賛同できない。
第一に、大合議決定が示した判断枠組みは、実施者側がFRAND意思のあることの主張立証に成功して、初めて差止めを制限するというものであり、実施者によるホールドアウト問題にも一応対応できるものであった※12。確かに、大合議決定は、実施者がFRAND意思を欠くことに係る「認定は厳格にされるべき」旨を述べていたが、これは特許権侵害に対する差止めの制限が極めて例外的であり、かつ、標準必須特許の特殊性が十分理解されていない当時の状況下での注意喚起と捉えるべきと思われる※13。加えて、大合議判決は、「FRAND条件でのライセンス料相当額の損害賠償請求を認めることこそが、発明の公開に対する対価として極めて重要な意味を有するものであるから、これを制限することは慎重であるべき」旨も述べていたのであり※14、知財高裁として、特許権者と実施者の間のバランス確保を認識していたことは、明らかである。以上から、大合議判決等につき、特許権保護を軽視する立場と捉えるのは、妥当でないと考える。
第二に、上記のとおり、権利濫用論によって差止めを制限する考え方は、本判決と大合議決定に共通しており、むしろ、本判決の「判断基準」には、大合議決定よりも特許権者側に厳しい姿勢をとるかのような基準(主張立証責任の分配)及び表現も見られる。仮に、本判決が、大合議決定の基本的立場を特許権者に有利な方向で修正する意図を持っていたとすれば、上記のような基準や表現をあえて採用しなかったのではなかろうか。
③大合議判決等及び本判決の問題点
現在の視点から大合議判決等を見直した場合、認識や検討が不十分であったと思われる点は、確かにある。それは、FRAND条件に沿うライセンスに向けた交渉のあり方についてである。すなわち、標準必須特許に係る権利行使について各当事者が有利な結論を得るために、FRAND条件の合意に向けてどのような交渉をすべきかにつき、大合議判決等は、明確な考え方を示していなかった※15。
しかし、この問題については、大合議判決等の後、2015年に出されたEU司法裁判所(CJEU)の先決裁定※16をはじめ、非常に多数の裁判例が海外で集積してきている※17。一方、我が国では裁判例が出なかったため、経済産業省及び特許庁が、ライセンス交渉に関する「指針」等を策定した※18。
そのような状況下、裁判所が標準必須特許に係る紛争当事者のFRAND意思を論じ、権利行使の是非を判断するに際しては、当事者の交渉に関する判断基準を明確かつ適切に示すことが求められていたといえる。しかし、残念ながら、本判決は、(地裁としての限界があったとも思われる)一般的な判断基準はもとより、事案に即した当事者の行為の評価についても、考え方を十分示すことなく結論を述べるにとどまっている。さらに、本判決の内容には、次項に述べるように、種々の問題があると思われる。
(2)「当てはめ」について―FRAND条件に向けた交渉の評価基準
①本判決の特徴と評価
標準必須特許に係る紛争において、当事者が自己に有利な結論(権利行使の肯定又は否定)を得るためには、FRAND条件に沿う合意に向けた交渉を誠実に行うことが必要であり、具体的には、交渉におけるライセンス条件の提案内容とともに、交渉過程における行動(関連情報の提供、応答のタイミング等)の両面におけるFRAND条件整合性・誠実性が問われる。これは、国際的にほぼ確立した考え方といえる※19。
以上を踏まえ、本判決の「当てはめ」部分の特徴とそれに対する評価を述べる。
第一に、当事者間の交渉経緯と、裁判所による和解勧告に対する当事者の対応を明確に区別し、前者においてはYにつきFRAND意思を有しないとの事情は認められないとしつつ、後者においてはYにFRAND意思が認められないと判断している(Yの対応は「不誠実な対応」であると、強い否定的表現を用いている。)。しかし、Yの和解案は(当事者間の交渉における)「G社再提案」と実質同一であり、かつ、侵害品に係る情報の(不)開示は、当事者間の交渉段階から和解勧告後の段階まで継続していたとされている。そこで、上記のように評価が分かれる理由が問題となる。
では、本判決は、YのFRAND意思の存否に関し、当事者間の交渉段階と、裁判所の和解勧告への対応とで、異なる評価基準を設けているのであろうか。あるいは、評価の違いは、単に時間の経過の反映にすぎないのか、それとも裁判所の関与の有無に由来する差異であろうか。さらに、異なる基準を設けるとすれば、その差異に合理性はあるのだろうか。こうした疑問が必然的に生じるところ、本判決の考え方は不明である。
第二に、交渉経緯の評価に焦点を当てると※20、本判決は、各当事者の行為を確認したうえで、Yはライセンス交渉に対し「できるだけの対応」をしていたといえ、また、合意に至らなかったのは、当事者の提案に互換性がなかったためであるとし、結論としてYがFRAND意思を有しないという事情を認めることはできないとしている。
しかし、FRAND意思は、(いかなる条件のものかを問わず)ライセンス締結に向けた交渉の意思と態度があれば足りるのではなく、あくまでFRAND条件のライセンスに向けた交渉を誠実に行うことによって、初めて肯定されるものである。そして、国際的には、各当事者のなすべきことは何か、オファーやカウンターオファーがFRAND条件に整合的である必要があるか否かなどが議論され、一定の判断基準とその適用が示されてきている※21。
それに対し、本判決は、あるべきライセンス交渉はいかなるものか、オファー等はFRAND条件である必要はあるのかなどの判断基準がまったく示されておらず、本件当事者の個々の行為の評価も述べられていない。この点において、標準必須特許紛争に関わってきた専門家の目には、本判決は物足りないと見えざるを得ないであろう。
さらに、本判決の特徴として、X側の行為のFRAND条件整合性に関する評価がない点も指摘できる。これは、「当てはめ」以前に「判断基準」の問題でもあり、かつ、大合議決定とも共通する問題といえる。そこで、項を変えて、若干検討する。
②特許権者側のFRAND意思の勘案
大合議決定及び本判決の、差止めの可否を判断する枠組みにおいて、特許権者側のFRAND意思については明示的には触れられていない※22。しかし、そもそもFRAND宣言をした特許権者が、FRAND条件によるライセンスの合意に向けた誠実交渉義務を負うことは当然であり、仮に特許権者がFRAND意思を欠くと認められる場合には、差止めの可否の判断に影響することがあり得ると考えるべきである。
しかし、具体的にどのように考えるかについては、異なる考え方があり得る。すなわち、図式的には、特許権者と実施者につき、(ⅰ)いずれもFRAND意思あり、(ⅱ)特許権者がFRAND意思あり、実施者がFRAND意思なし、(ⅲ)特許権者がFRAND意思なし、実施者がFRAND意思あり、(ⅳ)いずれもFRAND意思なし、というパターンがあり得る。さらに、(a)交渉のどの段階でのFRAND意思を問題にするのか、(b)当事者が交渉で提案するライセンス条件自体がFRANDである必要があるのか(CJEUが示した交渉枠組を前提にすると、特許権者については当初にオファーする具体的ライセンス条件が、また、実施者はカウンターオファーが、それぞれ問題となる。)、(c)FRAND条件適合性はどの程度のものが求められるのか(一見して明らかに反FRANDである場合と、FRAND条件適合性につき微妙な判断が求められる場合とでは、別異に扱うべきでないか)といった点も、考慮すべきと思われる。
この点につき、例えばドイツ等の裁判例では、次のような考え方が示されている(網羅的な紹介ではなく、代表的な例を挙げるにとどまる。)。
(3)FRAND実施料
本判決で検討されている、両当事者による実施料の提案及び裁判所が示す「大合議方式」については、具体的数字が公開されていないこともあり、正面から論じることは困難である。そこで、簡単なコメントをするにとどめたい。
第一に、本判決は、Y側の提案(G社提案及び和解案)がFRAND条件に不適合である旨の認定をすることなく、しかし、「大合議方式」に沿った和解案や同方式による実施料算定に必要な情報(侵害品の販売額及び販売台数)を提示しなかったことをもって、YのFRAND意思の欠如を認定している。そのような認定を根拠付けるためには、「大合議方式」につき、FRAND条件適合的であることのみならず、Y側提案に比べて、FRANDライセンスの実現の観点から、一層望ましいものであることの合理的説明が必要だったのではなかろうか※30。
第二に、Y側の提案について、少なくとも本判決から、FRAND条件に適合しないと断定することは困難と思われる。標準必須特許に係るライセンス実施料として、個々の製品価格を反映せず個数割で算定する場合も見られるところであり※31、また、3G関連規格の関係で、特許権者側が世界的なスマートフォンの平均価格を用いた実施料を提案した例も見られる※32。
第三に、本件において、東京地裁は、「グローバルSEPポートフォリオを対象とする和解」を勧告したことに照らすと、ライセンス条件(実施料)をグローバル・ベースで定めることが適切であると考えていたと解される※33。本件では、裁判所による具体的な実施料の検討はあくまで和解手続の文脈であるが、訴訟手続において、グローバル・ベースの実施料を裁判所が定めることはあり得るのだろうか。この点は、後に簡単に言及することとしたい。
Ⅴ その後の動向等
1.本件事案の経過
本件はYにより控訴されたが、別件事件の場で令和7年12月に和解が成立し、本件訴えも取り下げられた。
2.東京地裁知的財産権部の動き
東京地裁知的財産権部は、令和8年1月、「標準必須特許に基づく特許権侵害訴訟の審理要領」及び「SEP調停(SEPJM)の審理要領」を公表した。
標準必須特許紛争は、一般にグローバル規模であることが多く、フォーラム・ショッピングとフォーラム・セリングと呼べるような動きも見られる※34。東京地裁の上記要領等の公表は、そのような国際的な環境下、我が国裁判所の対応能力を示す狙いもあるのであろう。ただ、我が国裁判所が、国際的に標準必須特許に係る紛争解決の地として選択されるためには、本稿で述べたような、FRAND条件によるライセンスに向けた交渉のあり方やFRAND意思の認定についての考え方を示していくことが重要であると思われる。
なお、本判決や上記「要領」が和解や調停を重視しているように見えることの背景には、訴訟手続において裁判所がグローバル・ベースの実施料の算定・決定をすることが難しいという問題があると思われる。最後に、その問題について触れておく。
3.グローバル・ベースの実施料算定について
一般に、標準必須特許は、権利化及びライセンスが多数の国で行われることが多い。そこで、ライセンス条件(以下、実施料に焦点を当てる。)をグローバル・ベース(worldwide)で定めることが、当事者双方にとって望ましいことが多い。しかし、一国の裁判所が、訴訟手続において、グローバルな実施料を定められるかについては、他国の特許権に係るライセンス条件まで定めることを意味するだけに、種々の法的問題が関係し、一概に答えを出すことは難しい。各国国内の実質法との関係のみならず、国際裁判管轄、特許権の属地性や特許権保護に係る国際法上の義務との関係等を検討する必要がある。
実態としては、英国において、Unwired Planet v. Huawei事件判決※35をはじめ、グローバルな実施料を算定した例が多数見られる。さらに、中国等でも、同様の例が見られる※36。しかし、そのような慣行を問題視する動きもあり、特に、EUが、中国の裁判所によるグローバルな実施料の決定(当事者の同意を欠く場合)について、TRIPS協定等に違反するとして、WTO紛争を提起している※37。
では我が国ではどうか。第一に、特許権侵害訴訟における損害賠償の算定として、グローバルな実施料相当額を算定することは、まったく不可能ではないであろう。しかし、他国における外国特許権の侵害による損害賠償の算定をすることについては、国際裁判管轄を肯定できる事案である必要があることはもとより、国際法をも踏まえて適法性と妥当性を検討する必要がある。
第二に、侵害訴訟において、裁判所が、当事者のFRAND意思の有無を判断する文脈で、当事者が提案した実施料のFRAND条件整合性を評価するに当たり、グローバルなFRAND実施料を示すことも、考えられる。ただし、その場合、実施料に関する裁判所の判断の法的効果は限定的であろう(少なくとも既判力は認められない。)。
第三に、契約に関する訴訟において、契約条件として、グローバルな実施料の算定をすることも、一応考えられる。例えば、契約の存在を前提として、実施者による提案(と支払)が債務不履行に当たると主張し、不履行と認められるかという文脈で適正な実施料を裁判所が認定するということが考えられるだろうか※38。ただし、我が国では、大合議判決等が、ETSIのIPRポリシー上のFRAND宣言につき、第三者のためにする契約の成立を否定していることもあり、上記が可能であるのはまれな事案にとどまると思われる。
なお、仮に法的に可能であると判断されるとしても、少なくとも両当事者の同意がない場合について、グローバルな実施料を一国の裁判所が定めることは、政策的に望ましくないと考える※39。
(掲載日 2026年4月7日)
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