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文献番号 2025WLJCC024
明治大学 教授
清水 宏
Ⅰ はじめに
別居中の夫婦が婚姻費用の分担(民法760条※2参照)に関して裁判外で合意をしたところ、後に、一方が費用算定の基礎となった資産を誤魔化していたことが発覚した場合に、今度は、家庭裁判所に対して新たに婚姻費用分担の審判を仰ぐことが考えられる。その際、過去に遡って婚姻費用分担額を定めてもらうためには、既になされている合意を無効とするという、一手間かけることが必要なのだろうか。
Ⅱ 確認訴訟と訴えの利益
そうした合意を無効とする方法の一つとして、当該合意が無効であることを確認する訴えによることが考えられる。この確認の訴えには、裁判所による存否確認というその単純な行為の性質から、その対象が論理的に無限に拡大しうる側面がある※3。そこで、紛争解決に結びつかない確認の訴えが提起される可能性が大きく、無益な訴訟を排除するための訴訟要件である訴えの利益によって限定することが必要とされる※4。そうした確認の訴えの利益の有無については、①確認の対象の選択が適切であるか、②確認の訴えという方法を選択することが適切であるか、および、③即時に確定する必要性があるか、という3点から判断するのが一般的である※5。
Ⅲ 過去の法律行為の確認の可否
これらの要件のうち、①確認の対象の選択が適切であるかという点については、原告の選択した確認の対象が、原告の権利や法律上の地位に関する危険や不安を除去するために有効・適切といえるか、ということが判断される。そのため、確認の訴えの対象は、原則として「現在の」権利または法律関係でなければならないとされる※6。これは、民事訴訟の対象である私的な法律関係は時間の経過とともに変動する可能性があるため、過去の法律関係を確定しても、現在の法的紛争を解決することにはならないのが通常であって、それ故、現在の法律関係の存否を対象とするのが紛争解決にとって直接的かつ効果的であるとされるためである※7。
もっとも、過去の権利関係や法律行為の無効または不存在の確認について、株主総会などの決議の不存在または無効の確認の訴え(会社法830条※8)、離婚の無効確認の訴え(人事訴訟法2条1号※9)、行政処分の無効確認の訴え(行政事件訴訟法36条※10)などのように明文の根拠を持って認められているものもある。これらは、現在の権利関係の基礎をなす過去の法律行為の存否・有効性の確認を行うことで、現在の権利関係をめぐる紛争の抜本的・一挙的解決をもたらしうるため、例外的に認められるものである※11。
こうした法の趣旨に照らせば、規定がなくとも同様の事情が認められる場合、過去の法律行為の存否の確認を求めるものであっても、訴えの利益を認めて差し支えないとされる。そうした例としては、たとえば、死者との間の親子関係確認の訴え※12、遺言者の死亡後における遺言の無効確認※13、相続人の地位の不存在確認※14などがある。
Ⅳ 既になされた婚姻費用分担に関する裁判外の合意に対する無効確認の訴えの利益
そして、本件確認訴訟における無効確認の対象となった「婚姻費用分担合意」は、既判力の基準時である事実審口頭弁論終結時に照らすと、過去に行われたものであることから過去の法律行為であり、その有効性に関する確認が現在の紛争の抜本的・一挙的解決に資するものであるかが、訴えの利益の判断において問題となる。
この点、婚姻費用の分担額を決定するための方法としては、裁判外での当事者間の合意(協議)、家事調停(家事事件手続法(以下、「家手法」とする。)244条※15・247条※16・別表第二の二※17参照)、および、家事審判(家手法39条※18・150条※19・別表第二の二参照)がありうる。一般に、まず裁判外での当事者間での明示または黙示の合意が試みられ※20、合意に至らない場合に、家事事件としての請求が申し立てられる※21。また、婚姻費用分担請求事件については調停前置主義(家手法257条※22)が適用されない(家手法257条1項参照)ものの、通常、先に調停が行われ(家手法274条※23)、不調の場合には当然に審判に移行する(家手法272条4項※24)※25。こうした、合意と審判の関係に照らすと、合意の優先性とでもいうべき関係が存在するものとみることもできないではない※26。そして、そのように考えるならば、既になされた婚姻費用分担に関する裁判外の合意が存在する場合、それと異なる内容で、かつ、合意の対象とされた時点まで遡及する内容の、言わば従前の定めを変更する婚姻費用分担に関する審判※27,※28を新たに求めるためには、当該合意を無効とすることを前提条件とすべきではないかとも思われる。
しかしながら、民法および家手法の規定には、婚姻費用分担に関する合意と審判との間に、合意の優先性とでもいうべき関係を明確に定めるものはない。上述のように、まず裁判外の合意が試みられるのは、その迅速性・廉価性故のことであると思われる。また、家事調停を先にするのは、家族関係の円満な解決という家事事件に通底する理念によるものであって、家事調停を経ない訴えの付調停(家手法257条2項本文参照)が原則でないことを鑑みれば、厳格な優先関係を認めることはできない。そうすると、裁判外での合意、家事調停、および家事審判のいずれを行うかについては、当事者の選択によることができるものと解される。このように考えるならば、婚姻費用分担に関する裁判外の合意の無効確認を認めても、それによって、婚姻費用の分担が決まっていない状態に復するだけであり、さらに、上述したいずれかの手続により、分担を決める必要が残るというのは迂遠である※29。さらに、婚姻費用分担の審判は、当事者の協議に代わる性質を有するものとされる※30ことを鑑みれば、新たな合意ともいうべき分担内容を審判でもって定めることで、古い合意が当然に撤回されたものと解する方が手続としても簡明であり、また、迅速かつ確実な扶助・扶養※31の実現※32にもつながるといえよう。したがって、婚姻費用分担の審判を求めるに当たり、既になされた合意の存在はその障害となるものでないと解される。
こうした文脈において、婚姻費用分担の審判を求める前提として、既になされた裁判外の合意の無効確認の訴えを提起し、請求認容判決を得ても、当該紛争の抜本的・一挙的な解決につながるものではない。したがって、婚姻費用分担に関する裁判外の合意の無効は、確認の訴えの対象として適切ではなく、これに訴えの利益を認めるべきではないものと解するのが相当である。
Ⅴ むすびにかえて
以上により、夫婦間における婚姻費用の分担の内容を定める合意の無効確認を求める訴えは、確認の利益を欠くものとして不適法であり、新たな審判を受ける前提としてこの方法をとる必要性はないものと解される。その文脈において、本件判旨は正当であると評価できる。なお、今後も、当事者が救済の手段を選択するに当たり、本件のように手続の選択に迷う可能性がある。理想を言えば、救済手段とその管轄を遺漏なく法定することが望まれるが、容易ではなかろう。そうした場合に、当事者の負担を抑えるべく、訴えの交換的変更の利用可能性を広げることなど※33も検討されてもよいのではないかと思われる。もちろん、婚姻費用分担合意無効確認の訴えと婚姻費用分担に関する審判とでは、訴訟と非訟、審理原則としての弁論主義と職権探知主義、判決と審判など手続的差異が多く、訴えの変更を認めることは訴訟経済の観点からも問題がないわけではなく、訴え却下により一度リセットすることが理論的にも筋が通っているといえよう。しかしながら、形式的にではあれ、敗訴判決により終了することをスキップすることが当事者の手続に対する満足につながるのではないかとも思われるところである。
(掲載日 2025年11月4日)