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文献番号 2025WLJCC022
東洋大学 教授
丸山 愛博
Ⅰ 事案の概要
被告Y1会社(被告・被控訴人。以下、「Y1社」という。)の従業員である被告Y2(被告・被控訴人。以下、「Y2」という。)は、てんかんの発作により意識喪失の状態に陥り、Y1社の業務の執行中に運転していた小型特殊自動車を歩道に向けて暴走させて歩道上に立っていたAに衝突させ、Aを死亡させた。Aは、本件事故当時、11歳の女子児童で、先天性の両側感音性難聴があり、支援学校の小学部に通学していた。本件事故につき、Aの両親及びAの兄である原告Xら(原告・控訴人。以下、「Xら」という。)は、Y1社及びY2に対して、本件事故によるAの人的損害に係る損害、Xら固有の精神的損害及び弁護士費用の賠償等を求めて訴えを提起した。本件では、Aが死亡しなければ将来得られたであろう逸失利益の算定が最大の争点となっており、原審※2は、Aの逸失利益の算定に用いる基礎収入を全労働者平均賃金の85%に相当する金額とするのが相当であるとした。Xらは、全労働者平均賃金を逸失利益算定の基礎収入とすべきとして控訴した。
Ⅱ 判旨
破棄自判。
本判決は、「Aの労働能力は、一般に未成年者の逸失利益を認定するための基礎収入とされる労働者平均賃金を、当然に減額するべき程度の制限があったとはいえない状態であったと評価するのが相当である」として、全労働者平均賃金を基礎としてAの逸失利益を算定した。その理由は以下の通りである。
すなわち、「未成年者の逸失利益を認定するに当たって全労働者平均賃金を用いる際には、一般に当該未成年者の諸々の能力の高低を個別的に問うことなくその数値を用いているのが通例であり、あえて全労働者平均賃金を増額又は減額して用いることが許容されるのは、損害の公平な分担の理念に照らして、全労働者平均賃金を基礎収入として認めることにつき顕著な妨げとなる事由が存在する場合に限られるというべきである。Aは、先天性の聴覚障害を有していた児童であるところ、Aにつき、就労可能年齢に達した時点における基礎収入を当然に減額するべき程度の労働能力の制限の有無やその程度を検討するに当たっては、死亡当時のA固有の聴覚の状態像を正確に理解した上で、就労可能年齢に達したときのAの労働能力の見通し、聴覚障害者をめぐる社会情勢・社会意識や職場環境の変化を踏まえたAの就労の見通しを検討して、Aの労働能力を評価すべきであると考えられる。」
「以上の検討の結果、Aが就労可能年齢に達した時点において、まず、・・・・・・Aの中枢系能力は、平均的なレベルの健聴者の能力と遜色ない程度に備わり、聴力に関しても、性能が飛躍的に進歩した補聴器装用に併せて、一定程度不足する聴力の不足部分を手話や文字等の聴力の補助的手段で適切に補うことにより、支障なくコミュニケーションができたと見込まれるから、Aは、聴覚に関して、基礎収入を当然に減額するべき程度に労働能力の制限があるとはいえない状態にあるものと評価することができる。また、・・・・・・本件事故当時においても、将来、障害者法制の整備、テクノロジーの目覚ましい進歩、さらには聴覚障害者に対する教育、就労環境等の変化等、聴覚障害者をめぐる社会情勢や社会意識が著しく前進していく状況は予測可能であった。そして、現に、Aが就労可能年齢に達した現時点においては、障害の『社会モデル』の考え方が浸透し、事業主の法的義務となった社会的障壁を除去するためのささやかな合理的配慮の提供として、聴覚障害者に対し様々な補助的手段の併用が認められ、聴覚障害者がそれらを駆使して、健聴者とともに同じ条件で働く職場環境が少なからず構築されているといった、聴覚障害者をめぐる就労現場の実態があり、このような労働実態は、本件事故当時においても蓋然性をもって合理的に予測可能であったといってよい。さらに、・・・・・・Aは、就労可能な年齢に達した時点において、本件支援学校等の教育によって社会的障壁を除去する意識や行動力を身に付け、聴力の補助的手段としてAが選択した方法を認めて協力してもらうなど、決して過重とはいえない合理的配慮がされる就労環境を獲得し、健聴者と同じ職場で同じ条件で働くことができたであろうことが、本件事故当時においても、これまた、蓋然性をもって合理的に予測することができたといえる。」
「そうすると、Aは、就労可能年齢に達した時点において、生来の聴覚障害を自分自身及び職場(社会)全体で調整し、対応することができると合理的に予測できるから、損害の公平な分担の理念に照らして、全労働者平均賃金を基礎収入として認めることにつき顕著な妨げとなる事由はなく、健聴者と比べて、基礎収入を当然に減額するべき程度に労働能力の制限があるということはできない。」
Ⅲ 解説
1.本判決の意義
障害のある年少者の逸失利益と障害のない年少者のそれとの間には、縮小しつつあるものの依然として差がある。障害の原因を社会の構造や環境にみる「社会モデル」への障害観の転換やそれに伴う障害者法制の整備を背景に、障害のある年少者の逸失利益を算定する際に、障害のある者の平均賃金ではなく、全労働者の平均賃金を採用する裁判例が近年では増えているが、原判決のようになお障害を理由として、これを一定割合で減額して基礎収入とする判決が相次いでいた※3。
このような中にあって、本判決は、障害のある年少者の逸失利益を全労働者の平均賃金を減額することなく基礎として算定したものであり、この点に意義がある。また、「未成年者の逸失利益を認定するに当たって・・・・・・全労働者平均賃金を増額又は減額して用いることが許容されるのは、損害の公平な分担の理念に照らして、全労働者平均賃金を基礎収入として認めることにつき顕著な妨げとなる事由が存在する場合に限られるというべきである。」と判示して、障害を理由とする減額が当たり前となっていた中で、原則と例外を転換させる一般論を展開したことが高く評価されている※4。
以下では、差額説と損害算定法理について確認した上で、障害のない年少者の逸失利益と障害のある年少者の逸失利益の算定に関する裁判例の流れを整理し、最後に本判決について若干の検討を行う。
2.差額説と損害算定法理
不法行為に基づく損害賠償における「損害」について、判例及び通説は、いわゆる差額説を採用している。差額説とは、不法行為がなかったならば被害者が置かれていたであろう財産状態と不法行為があったことによる現在の財産状態の差を金額で表したものを「損害」とするものである。
差額説は、論理必然的帰結ではないものの、いくつかの損害算定法理と結び付けられ裁判実務に定着している※5。ここでは、①個別積算方式、②実損主義、③具体的損害計算について確認しておく。①個別積算方式とは、個々の損害項目ごとに金額を算定して、それを積み上げていって損害を算定する方式である。②実損主義とは、不法行為により被害者に現実に生じた損害のみが賠償されるべきとの考え方であり、被害者の利得禁止も含意する。③具体的損害計算とは、損害を当該具体的被害者に即して確定していくという考え方であり、ここから被害者の個人的事情を斟酌しなければならないとのドグマが帰結されることになる※6。
3.障害のない年少者の逸失利益の算定
上述のように、裁判実務において個別積算方式が採用されているため、損害項目である逸失利益についても、被害者がその金額を高度の蓋然性が認められる程度に立証することが求められる※7。したがって、被害者が年少者である場合には、将来の職業・稼働年数・収入等についての予測が極めて困難で高度の蓋然性をもって立証することができないため、逸失利益について損害賠償請求が認められるか否かについては見解が分かれ、これを否定する判例も存在した※8。
しかし、最高裁(最三小判昭和39年6月24日)※9は、「あらゆる証拠資料に基づき、経験則とその良識を十分に活用して、できうるかぎり蓋然性のある額を算出するよう努め、ことに右蓋然性に疑がもたれるときは、被害者側にとつて控え目な算定方法」を採用すべきであるとし、算出が困難であることを理由として逸失利益の損害賠償を否定すべきではないとした。ただし、同判決が具体的な計算方法を示さなかったため、その後の下級審には混乱が生じることとなった。
特に、女性労働者の平均賃金を基礎とすると、年少女子の逸失利益が年少男子のそれよりも低く算定されることから、年少女子の逸失利益については早くから議論されてきた。この点につき、最高裁(最三小判昭和61年11月4日)※10が、女性労働者の平均賃金を基礎としても不合理ではないとしていたことから、下級審では、年少女子の生活費控除率を年少男子のそれよりも低くして男女間格差の是正をある程度図ろうとしていた※11。
こうした中、東京高判平成13年8月20日※12は、年少者は「多様な就労可能性を有している」とのいわゆる「就労可能性」ロジックを理由に、女性労働者の平均賃金による逸失利益の計算は、性別による合理的な理由のない「差別」であると踏み込んだ表現をした。この判決を契機として、年少女子の逸失利益について全労働者の平均賃金を基礎とする裁判例が増加し、現在では、年少者の逸失利益は、原則として、全労働者の平均賃金を基礎として計算することとされている※13,※14。もっとも、生涯を通じて全年齢平均賃金程度の収入を得られる蓋然性が認められない特段の事情が存在する場合には、例外的にこれを基礎とはしないが※15、実務上は、特段の事情がない限り、その程度の収入を得られる蓋然性があるとしている※16。
4.障害のある年少者の逸失利益の算定
障害のない年少者の逸失利益については、具体的損害計算を前提としつつも、本判決が指摘するように「諸々の能力の高低を個別的に問うことなく」全労働者平均賃金を用いるのが通例である。これに対して、障害のある年少者の場合には、稼働能力を取得する蓋然性に加えて、一般就労を前提として平均賃金を将来的に得る蓋然性の証明が求められ、昭和末期から平成初期にかけては、障害のある年少者には稼働能力の喪失がないとして逸失利益が認められていなかった※17。
その後、平成中期以降になると、障害のある年少者にも逸失利益が認められるようになり、問題の焦点が、稼働能力取得の蓋然性から一般就労による平均賃金取得の蓋然性へと移行した※18。その転換点とされるのが、人間としての価値の平等を強調した東京高判平成6年11月29日※19である。同判決は、16歳の自閉症児の死亡による逸失利益について、「地域作業所入所による収入を基礎とする平均年間所得を算定基礎とするのでは・・・・・・、一人の人間の生命の現価として数額をもって評価するには、非現実的で労働による収入額とは掛け離れた数額」となるとして、就職年度の一般労働者の最低賃金から10%を減額した収入を基礎とした。
以後、障害者法制の整備が進む中で、障害のある年少者の逸失利益算定についても一般就労を前提とする算定が定着し、近年は、事業者に「合理的配慮」(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律8条2項※20)が義務付けられたことを背景に、1.で上述したように全労働者平均賃金を基礎収入とする算定が増えている※21。もっとも、本件と同じく身体障害の事案に限っても、身体障害のある者の平均賃金と身体障害のない者のそれとでは現に差異があることや身体障害が自動車損害賠償保障法施行令の定める後遺障害等級において一定の労働力を喪失したものと扱われていること等を理由に、全労働者平均賃金から一定の割合を減じたものが逸失利益算定の基礎とされていた※22。このような減額の背後には、障害のある者に全労働者平均賃金による逸失利益を認めることは、被害者に利得を与え実損主義に反するとの懸念があると指摘されている※23。
5.若干の検討
このように、裁判例は、障害のない年少者の逸失利益については被害者の個別の能力の高低を問うことなく全労働者平均賃金を算定の基礎とする一方、障害のある年少者の逸失利益については障害があるという事実のみをもって、全労働者平均賃金から一定の割合を減じた額を計算の基礎とする傾向にあった。しかし、年少者は障害の有無を問わず「多様な就労可能性」を有しているのであり、このような取扱いの差は合理的であるとはいい難い。
この問題意識を正面から受け止めて、本判決は、全労働者平均賃金を減額して用いることが許されるのは、それを基礎収入として認めることにつき「顕著な妨げとなる事由が存在する場合に限られる」として、障害による減額が当然であるとの裁判例の流れに一石を投じた。このことには大きな意義がある。
もっとも、本判決の示した一般論が与える影響の大きさとは裏腹に、当てはめを詳細に検討すると、本判決は、原判決と大きく異なる立場をとっているわけではないことがわかる。というのは、本判決も、障害によって労働能力が制限される場合には減額の余地を認める点では原判決と同じであり、結局のところ、両者の結論を分けたのは、Aの聴覚障害が労働能力を制限する程度についての評価の違いだからである。すなわち、原判決は音声によるコミュニケーションを前提に、Aの聴覚障害は他者とのコミュニケーションを制限すると評価した一方、本判決は、障害者権利条約を参照して、「コミュニケーションをとる方法は音声に限るといった意識や習慣は社会的障壁というべきであり、・・・・・・手話や文字通訳等を通してコミュニケーションをするという合理的配慮がされることによって」、Aは他者とのコミュニケーションが十分に可能であると評価した。
このように、本判決は、被害者の障害の程度を詳細に検討するものであり、具体的損害計算を指向しているといえる。したがって、障害のない年少者についてはその能力の高低を問わずに抽象的に損害を計算しているにもかかわらず、障害のある年少者については具体的損害計算を求めており、本判決の上述の問題意識とは反対に、その取扱いの差異がかえって際立っているといえる。このことは、判例が採用している具体的損害計算自体の限界を示していると評価できよう。
最後に、本件は身体障害をめぐる事案であることから、本判決の射程が、知的障害や精神障害の事案に及ぶかが問題となる。本判決は当該障害が労働能力を制限する程度を具体的に検討することを求めるものであるから、本判決の射程は、全労働者の平均賃金を基礎とする場合には知的障害や精神障害の事案にも及ぶといえよう。
(掲載日 2025年9月30日)