判例コラム

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第352号 障害基礎年金と児童扶養手当の併給調整に関する2025年最高裁判決に関する一考察  

~最高裁第三小法廷令和7年6月10日判決※1

文献番号 2025WLJCC017
大阪経済大学 教授
小林 直三

1.はじめに
 本稿は、障害基礎年金と児童扶養手当の併給調整に関する2025年6月10日の最高裁第三小法廷判決を紹介し検討するものである。
 本稿で取り上げる判決の事案は、次のものである。すなわち、ひとり親として子どもを養育し、児童扶養手当の支給を受けていた一審原告(上告人)が、障害基礎年金の給付決定を受けたことから、併給調整規定に基づき、これまで支給を受けていた児童扶養手当の支給の停止処分を受けたため、ふたり親世帯の場合の併給調整では支給される児童扶養手当の相当額部分の支給停止処分の取消しを求めた事案である。
 一審※2および控訴審※3で請求が棄却されたため、一審原告が上告したものが本判決となる。


2.判例要旨
①多数意見

 多数意見は、憲法25条※4および憲法14条1項※5について、「憲法25条の規定の趣旨に応えて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は立法府の広い裁量に委ねられているところ、児童扶養手当法(令和2年法律第40号による改正前のもの。以下同じ。)4条1項の規定に基づく児童扶養手当と国民年金法上の障害基礎年金とは、いずれも我が国の社会保障制度の一部を成すものであり、また、受給権者に対する所得保障の給付である点において性格を同じくするものである」ため、「児童扶養手当と障害基礎年金との間において・・・・・・併給調整を行うかどうか、この具体的な内容としてどのようなものを許容する趣旨で政令に委任するかは、上記の立法府の裁量の範囲に属する事柄であるというべきであ」り、また、「児童扶養手当法13条の2第2項1号が母又は父に対する児童扶養手当について適用される場合においては、母又は父の一方のみが児童扶養手当及び障害基礎年金の受給権者であるのに対し、同条1項2号又は3号が母又は父に対する児童扶養手当について適用される場合においては、母又は父の一方が児童扶養手当の受給権者であり、他方が障害基礎年金の受給権者であるなどの違いがある」ことなどからすれば、「同条2項1号及びその委任を受けた児童扶養手当法施行令(令和2年政令第318号による改正前のもの。以下同じ。)6条の4が規定する児童扶養手当と障害基礎年金との間の併給調整は、同法13条の2第1項2号又は3号が適用される場合との間で合理的理由のない差別をもたらすものとはいえない」とし、そのため、「児童扶養手当法13条の2第2項1号の規定及び児童扶養手当法施行令6条の4の規定のうち同号所定の公的年金給付中の受給権者に子があることによって加算された部分以外の部分を対象として児童扶養手当の支給を制限する旨を定める部分が、障害基礎年金との併給調整において憲法25条、14条1項に違反するものとはいえない」とした。
 以上のことから、上告を棄却した。
 なお、本判決には、宇賀克也裁判官による反対意見がある。


②宇賀克也裁判官の反対意見
 まず、「原審は、(ⅰ)ひとり親世帯では、子の監護者である親自身が障害基礎年金を受給しているのに対して、ふたり親世帯では、子の監護者である親自身が障害基礎年金を受給していない(障害により労働能力の全部又は一部を喪失していないことを前提とした水準の給与所得等を有することが考えられる。)という違いがあるだけでなく、(ⅱ)ひとり親世帯は、監護者である母(又は父)に配偶者がいないが、後者は、監護者である母(又は父)に配偶者がいる(そのため、一定の経済的負担が増える。)という違いもあり、それぞれの状況が同一であるとはいえないとし、このように状況が同一であるとはいえないもの同士を比較しても、同一の事実関係(利益状況)の下で、合理的理由のない差別が存在することを証明したことにはならないと」し、そこで「原審が・・・・・・念頭に置いているのは、障害基礎年金を受給している親に障害を負っていない配偶者がおり、その配偶者が児童扶養手当を支給されている場合との比較であると思われるが、その場合の配偶者は、障害基礎年金を受給しているわけではないので、同一の者が障害基礎年金と児童扶養手当を受給する場合と異なる併給調整となることは平等原則に違反しないという趣旨であると思われる」とする。
 しかしながら、「『児童の福祉の増進を図る』(児童扶養手当法1条)という同法の究極目的に照らせば・・・・・・子の視点から考えることが必要であり、したがって、生計を一にする世帯単位で子の養育に必要な費用が補填されるかが肝要であ」り、「生計を一にしている世帯でみれば、本件のようなひとり親世帯と上記のようなふたり親世帯の間で、障害基礎年金と児童扶養手当の併給調整について、配偶者の有無によって異なる取扱いがされていることになる」とした。
 そして、「ふたり親世帯のほうが、稼得能力が大きいことになり、したがって、所得保障の必要性も低いことになるにもかかわらず、ふたり親世帯のほうがひとり親世帯よりも、有利な併給調整とすることの合理性を説明できないのではないかと思われ・・・・・・上記(ⅰ)の相違は、むしろ、ひとり親世帯に有利な併給調整制度とする理由にはなり得ても、ふたり親世帯に有利な併給調整制度とする理由にはなり得ないのではないかと考えられる」とした。また、「ふたり親世帯の場合、世帯員が1人増えることになるから、それに伴う経済的負担が増加する面がある」が、「しかし、他面において、ふたり親世帯の場合、障害のない親が1人存在することにより、障害基礎年金を受給しているひとり親世帯と比較して、経済的負担増が抑制される面もあり得ると考えられる」ことからすれば、「ふたり親世帯であることは、ひとり親世帯と比較して、経済的負担が増加する面と減少する面があるのであるから、経済的負担が増加する面のみに着目する上記(ⅱ)の理由も、障害基礎年金と児童扶養手当の併給調整について、ひとり親世帯に不利な取扱いをすることの合理的理由になるかには疑問がある」とした。
 さらに、「原審は・・・・・・ひとり親の場合、子と生計を同じくするので、障害基礎年金の本体部分は、ひとり親のためにのみ費消されるべき給付と評価することはできず、子のためにも費消されるべき給付と評価せざるを得ず、本体部分の給付請求権の性格が、子加算の部分の給付請求権の性格と法的に異質なものと評価することは困難であるとする」が、「しかし、障害基礎年金の本体部分は、それを受給する者に監護する子がいるか否かにより支給額に変わりはな」く、「それは、障害基礎年金の本体部分は、障害による稼得能力の喪失又は低下を補填する所得保障としての性格を有するからであり、これに対し、障害基礎年金の子加算については、従前の所得や障害の程度によらずに定額が給付されるのであるから・・・・・・子がいることによる支出増を補填する性格が濃いように思われる」ことからすれば、「ひとり親世帯の場合について、障害基礎年金の本体部分と子加算部分の性格の相違を捨象して、当該親は子と生計を同じくするから、障害基礎年金の本体部分と子加算部分は渾然一体として費消されるという前提に立って、子加算部分を含めた障害基礎年金の総額と児童扶養手当の額を比較して併給調整を行うことが正当化されるということにはならないと思われる」とした。
 そのうえで、「いかなる社会保障制度を設けるかについて、立法者にかなり広範な立法裁量を認めざるを得ない」ことを認めつつも、「ある社会保障制度を設ける法律が制定された場合、個々の社会保障制度について、そこに合理的に説明できない差別があれば、それは平等原則に違反するといわざるを得ず、その差別の結果、給付が低下した部分が生活保護等により補填されているのであれば、個々の社会保障制度において、合理性が説明できない差別があってもよいということにはならない」とし、「令和2年法律第40号による改正前の児童扶養手当法13条の2の規定による委任に基づく同法施行令(令和2年政令第318号による改正前のもの)6条の4の規定は、憲法14条が定める平等原則に違反すると考えざるを得ない」とし、原判決を破棄し自判すべきであるとした。


3.検討
 ふたり親世帯において配偶者が障害基礎年金を受給し本人が児童扶養手当を受給する場合の併給調整は、配偶者が受給する障害基礎年金のうち子がいることによる加算部分のみの額と児童扶養手当の額とを比較して、児童扶養手当の方が高額である場合には、その差額を支給することになっている。それに対して、2020年改正(2021年施行)までのひとり親世帯では、受給する障害基礎年金の本体部分と子がいることによる加算部分の総額と児童扶養手当の額とを比較して、児童扶養手当の方が高額である場合には、その差額を支給することになっていた。つまり、2020年改正までのひとり親世帯では、支給される差額の計算にあたって障害基礎年金の本体部分も加えるため、ふたり親世帯に比べて児童扶養手当の支給額が減少することになっていたのである。
 こうした本件併給調整規定にかかる問題は、法改正により障害基礎年金の子の加算部分のみを比較の対象にすることになったため、現時点では、すでに立法的に解決されたことになる。その意味では、本判決は、今後の影響に関する意義は乏しいものと思われるかもしれない。しかしながら、本判決を司法の役割と責任のあり方として位置づけた場合、なお、現代的意義が認められるものと思われる。本稿では、こうした視座から、本判決に関して若干の検討を行っていきたい。
 まず、多数意見は、「児童扶養手当と・・・・・・障害基礎年金とは・・・・・・受給権者に対する所得保障の給付である点において性格を同じくする」ことを前提に、「児童扶養手当と障害基礎年金との間において・・・・・・併給調整を行うかどうか」は、「立法府の裁量の範囲に属する」とし、また、ひとり親世帯の場合とふたり親世帯の場合の状況の違いから、「子があることによって加算された部分以外の部分を対象として児童扶養手当の支給を制限する旨を定める部分が、障害基礎年金との併給調整において憲法25条、14条1項に違反するものとはいえない」としている。こうした多数意見は、堀木訴訟最高裁大法廷判決※6を踏まえれば、自然な考え方であるように思われる※7。しかし、そのことは、併給調整に関する司法判断の進展のなさを表しているものともいえるだろう。
 そして、この多数意見の問題点は、宇賀克也裁判官の反対意見に端的に示されている。すなわち、宇賀裁判官は、この事案に関しては、「子の視点から考えることが必要であり、したがって、生計を一にする世帯単位で子の養育に必要な費用が補填されるかが肝要であ」り、「生計を一にしている世帯でみれば、本件のようなひとり親世帯と上記のようなふたり親世帯の間で、障害基礎年金と児童扶養手当の併給調整について、配偶者の有無によって異なる取扱いがされている」としたうえで、「ふたり親世帯のほうが、稼得能力が大きいことになり、したがって、所得保障の必要性も低いことになるにもかかわらず、ふたり親世帯のほうがひとり親世帯よりも、有利な併給調整とすることの合理性を説明できない」ことや「ふたり親世帯であることは、ひとり親世帯と比較して、経済的負担が増加する面と減少する面がある」ことを指摘することで、「障害基礎年金と児童扶養手当の併給調整について、ひとり親世帯に不利な取扱いをすることの合理的理由になるかには疑問がある」とする。さらに、障害基礎年金の本体部分と子の加算部分の法制度上の支給額のあり方から両者の法的性格を区別することで、「子加算部分を含めた障害基礎年金の総額と児童扶養手当の額を比較して併給調整を行うことが正当化されるということにはならない」とする。そして、「いかなる社会保障制度を設けるかについて、立法者にかなり広範な立法裁量を認めざるを得ない」ことを認めながらも、「ある社会保障制度を設ける法律が制定された場合、個々の社会保障制度について、そこに合理的に説明できない差別があれば、それは平等原則に違反するといわざるを得」ないとしたのである。
 このように宇賀裁判官の反対意見では、憲法25条にかかる社会保障制度に関する広範な立法裁量を認める先例を認めながらも、そうした25条論を避け、ひとり親世帯とふたり親世帯の実態に即した認識を前提にし、かつ障害基礎年金の本体部分と子の加算部分の支給額に関する法制度を精緻に分析し、両者の性格を区別することで、本件併給調整規定が憲法14条違反であることを導いたのである。つまり、25条論などにかかる先例の判断は認めつつも、併給調整規定に関する実態認識と精緻な法制度の分析を通じて、14条論を展開し、違憲判断を示したのである。
 前述のように本件併給調整規定にかかる問題は、法改正により障害基礎年金の子の加算部分のみを比較の対象にすることになったため、現時点では、すでに立法的に解決されたことになる。しかし、このように法改正が行われたことは、少なくとも政策的には従来の仕組みが必ずしも適切なものではなかったことの証左ともいえるだろう(そうでなければ法改正をしないはずである)。そして、本来、司法の役割とは、こうした法政策の適正化を促すものでなければならないのではないだろうか。
 もちろん、民主的正当性をもつ立法府の判断を司法は尊重し、その立法府の判断を否定することには抑制的でなければならないと考えられるかもしれない。しかしながら、近年は、民主主義論においてステークホルダー・デモクラシーや異議申立ての重要性が指摘されている。中村隆志は、「民主政治への参加主体の問題について、次の2つの考え方がある」とし、「被治者原理(all-subjected principle)」と「被影響者原理(all-affected principle)」をあげている。前者では市民の平等な参加が求められるが、後者では、「個別の政策分野・争点ごとに利害関心を抱く集合体が参加主体となり、個々の意思決定に対して影響力を行使する」ことになる。そして、「この被影響者原理に基づき、政治参加の要件を国家や自治体への所属よりも、政策争点の利害関係者であるかどうかによって考えるデモクラシー構想を、『ステークホルダー・デモクラシー』と呼ぶ」としている。また、フィリップ・ペティットの理論を踏まえて、「政府の政策によって影響を受ける市民が、政策過程において発言権を行使し、公的権力を適正化する仕組みが必要とされる」としている※8。確かに被治者原理を前提とする従来型の民主主義論からすれば、民主的正当性を持つ立法府との対立を避けるため、司法は抑制的でなければならないのかもしれない。しかし、被影響者原理やステークホルダー・デモクラシーの考え方からすれば、司法は、立法府の判断を踏まえつつも、被影響者原理に基づき、立法府の判断の適正化を積極的に行うべきことになるものと思われる。
 こうしたことを踏まえた場合、本件多数意見は、被治者原理のみに依拠することで司法判断の過度の抑制を招いてしまったものと評価することができるだろう。そして、そのことは、被影響者原理やステークホルダー・デモクラシーの考え方からすれば、司法の役割と責任の放棄であるといえるのではないだろうか。それに対して、宇賀裁判官の反対意見は、被影響者原理やステークホルダー・デモクラシーに基づく司法の新しい役割と責任を示したものといえるのではないだろうか。
 このように本判決を司法の役割と責任のあり方として位置づけた場合、特に多数意見と宇賀裁判官の反対意見とを対比することで、本判決には、現代社会における司法の役割と責任に関する課題と今後の方向性を示唆する現代的意義が認められるものと思われる。


4.おわりに
 本件で争われた併給調整規定に関する問題は、今日においては、法改正により立法的に解決されている。その意味で本判決は、今後の影響に関する意義は乏しいものかもしれない。しかしながら、本判決には、現代社会における司法の役割と責任に関する課題と今後の方法性を示唆するものとして、重要な意義があるものと考えられる。
 今後、ますます多様性が高まるであろう現代社会において、被治者原理のみに依拠する民主主義では包摂に限界があり、したがって、何かしらの形で被影響者原理やステークホルダー・デモクラシーを拡充していかなければならないだろう。そして、そうしたことを踏まえれば、本判決における宇賀裁判官の反対意見は、被影響者原理やステークホルダー・デモクラシーに基づく司法の新しい役割と責任を示したものとして、高く評価できるものと思われる。


(掲載日 2025年7月15日)



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