判例コラム

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第349号 同性婚を法律婚の対象としない民法等の諸規定を憲法14条1項および24条2項違反とした大阪高裁判決に関する一考察  

~大阪高裁令和7年3月25日判決※1

文献番号 2025WLJCC014
大阪経済大学 教授
小林 直三

1.はじめに
 本稿は、同性婚を法律婚の対象としない民法等の諸規定を憲法14条1項※2および24条2項※3違反とした2025年3月25日の大阪高裁判決を紹介し考察するものである。本件事案は、控訴人ら(一審原告ら)が同性の者と婚姻しようとして婚姻届を提出したところ不受理処分を受けたため、同性婚を法律婚の対象としない民法等の諸規定は憲法違反にもかかわらず必要な立法措置をしない立法不作為の違法を理由として、国家賠償を求めたものである。
 同性婚を法律婚の対象としない民法等の諸規定の憲法適合性に関しては、第2次東京地裁判決も含めて6つの地裁判決※4が出されている。そのうち、唯一、合憲判決であったのが、本判決の原審である大阪地裁判決である。
 本判決は、本判決までに出された4つの高裁判決※5でいずれも違憲判断が示されるなか、地裁判決で唯一の合憲判決であった大阪地裁判決の控訴審として、どのような判断が下されるのかが注目される判決である。


2.判例要旨
 まず、憲法24条1項※6は、「婚姻当事者は一組の男女であることを所与の前提として規定されたものである」が、しかし、「同条が将来にわたって婚姻当事者を異性同士に限定し、婚姻制度から同性婚を排除する趣旨を含むものと解することはできない」としたうえで、「同性婚の法制化の要否は、同条2項によって画された立法裁量の範囲の問題であると解するのが相当である」とした。また、憲法13条※7に関しては、「婚姻及び家族に関する事項は、憲法24条の要請により法律によって具体的な内容を規律するものとされているから、婚姻及び家族に関する権利利益の内容は、憲法上一義的に捉えられるべきものではなく、婚姻をするについての自由は、憲法の定める基本原理及び基本原則に則った婚姻を具体化する法律に基づく制度によって初めて個人に与えられるか、又はそれを前提とした自由であり、憲法13条が同性と婚姻(法律婚)をする自由を人格権の一内容として直接保障し、同性婚の法制化を立法府に義務付けているものと解することはでき」ず、「同性婚を認めていない本件諸規定が直ちに憲法13条に違反するとはいえない」とした。
 そして、「憲法13条に違反する立法措置や不合理な差別を定めて憲法14条1項に違反する立法措置を講じてはならないことは当然である」が、「婚姻及び家族に関する法制度を定めた法律の規定が憲法13条、14条1項に違反しない場合に、更に憲法24条2項にも適合するものとして是認されるか否かは、当該法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し、当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法の裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきものとするのが相当である」とした。
 そのうえで、「相互に求め合う者同士が自ら選択した配偶者と婚姻関係に入ることができる利益は、現代社会を生きる上での個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益に当たるものといえ、同性カップルがこれを享受することができないのは、同性カップルの人格的利益を著しく損なうものといわざるを得」ず、「自然な性愛感情を抱き合う関係が同性同士であっても、その関係を保護することに生物学的、倫理的、道徳的な障壁がないのであれば、可能な限り異性同士と同等に扱うのが個人の人格を尊重する個人の尊厳の要請に適う」とした。また、医学上の扱いの変化や世論調査等を踏まえて、「これからの社会の在り方として、性的指向が同性に向く者らの多くが求めている同性婚の法制化を受け入れる社会環境が整い、国民意識も醸成されている」とし、さらに、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法3条1項4号※8を違憲とした最高裁大法廷令和5年10月25日決定※9を踏まえて、「生物学的性別に基づく生殖能力を保持したまま法的性別を変更することも可能となり、そうすると、夫が父、妻が母になるのが当然とはいえず、嫡出推定の在り方は、同性婚のみならず異性婚においても検討すべき課題といえ」、「したがって、同性婚を法制化した場合に嫡出推定規定の適用の可否について議論を要するところがあることをもって、同性婚を法律婚の対象とすることができないとか、同性婚の法制化が現行法体系に照らして相応しくないということはでき」ず、「また、そもそも、法的性別と異なる性別の生殖能力を保有している者があることは、異性婚を保護することが必ずしも自然生殖の抽象的可能性のあるカップルのみを保護することにはならないことを意味し、自然生殖を背景とする異性婚保護の価値観は現行の婚姻制度の説明としてはもはや十分でない」とした。
 そして、「各種世論調査において、同性婚の法制化に賛成する意見が多数を占めているのは前記のとおりである一方、これに反対する意見も相当程度存在し、異性婚のみを婚姻とする伝統的な婚姻観を大切に思う国民が相応に存在することも公知の事実である」が、「同性婚の法制化によって、婚姻に対して期待し、婚姻によって実現しようとする一人一人にとっての婚姻の意義や主観的な価値が損なわれるものではな」く、「伝統的婚姻観を重視するがゆえに同性婚の法制化に困惑し心理的抵抗を覚える国民に、多様な属性、価値観を有する国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら平和に共生するため、もはや社会の倫理にも健全な社会道徳にも公益にも反しないとの社会的合意が形成されているというべき同性婚に対して冷静かつ寛容な態度を期待することは、個人より集団の利益を優先する明治民法の規定を廃し、かけがえのない個人を尊厳ある主体として重んじることを旨として家族制度を構築することを命ずる憲法24条の理念に沿うもの」であり、「同性婚に対する国民感情が一様でないことは、同性婚を法制化しないことの合理的理由にはならない」とし、「現時点において、同性婚を許容しない本件諸規定は、性的指向が同性に向く者の個人の尊厳を著しく損なう不合理なものであるといわざるを得ない」とした。
 次に、憲法14条1項が求める法的な差別的な取扱いの禁止に関して、「本件諸規定は、性的指向が異性に向く者と性的指向が同性に向く者との間に、婚姻制度の利用の可否について性的指向による実質的な区別取扱い(本件区別取扱い)をしている」一方で、「性的指向は、ほぼ生来的に決定される自然的属性であり、自己の意思によって左右することができないものであ」り、「同性愛は、疾患でも障害でもなく、人間の本能的欲求の発露であり、同性カップルが互いに自然な愛情を抱き、法的保護を受けながら相互に協力して共同生活を営むことは、異性カップルのそれと同様に人格的生存にとって重要であって、現在では、社会の倫理、健全な社会道徳、公益のいずれにも何ら反するものではないとの社会的、規範的認識が確立されて」おり、「異性カップルは婚姻し、親族的身分関係を形成し、互いに権利と責任を負い、各種の法的効果を享受して安定した共同生活を営むことができる一方、同性カップルはこのような法的利益を享受することができないのであるから、同性カップルが被る不利益は著しく大きく、このような差異をやむを得ないものとして正当化できる根拠は見出し難」く、「また、婚姻制度の在り方は、社会状況における種々の要因を踏まえ、各時代における家族法制全体を見据えて総合的に規律されるべきものであるから、現行民法における婚姻制度が昭和22年民法改正当時の憲法24条が想定していた婚姻形態を法制化したことをもって、現在においても同性婚を認めないことに合理的理由があるということはできない」とし、「異性婚のみを保護することを目的とし、同性婚を認めていない本件諸規定による本件区別取扱いは、事柄の性質に即応した合理的根拠に基づくものということはできず、法の下の平等原理に反し、憲法14条1項に違反するというべきである」とした。
 さらに、「配偶者として公認されること自体が、安定した共同生活や充実感につながる」とし、また、「同性カップルについてのみ婚姻とは別の制度を設けることは、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑みると、新たな差別を生み出すとの危惧が拭えない」としたうえで、「近年パートナーシップ認定制度の導入・拡大が急速に進んでいることなどの事情は、本件区別取扱いが憲法14条1項に違反するとの上記結論を左右しないし、同性カップルについて諸外国において導入されているような法律婚以外の制度を設けたとしても、現時点において異性カップルと同性カップルの間に生じている不合理な差別を根本的に解消し得ない」とした。
 以上のことから、「現時点において同性婚を法律婚の対象としない本件諸規定は、性的指向が同性に向く者の個人の尊厳を著しく損なう不合理なものであり、かつ、婚姻制度の利用の可否について性的指向による不合理な差別(合理性のない区別)をするものとして法の下の平等の原則に反するから、国会の立法の裁量の範囲を超えるものであって、憲法14条1項及び24条2項に違反するものというべきである」とした。
 ただし、「伝統的婚姻観を有する国民も相応に存在し、同性婚を認めないことが憲法に反するかどうかは、同種訴訟における下級審裁判例の判断も分かれており、最高裁判所における統一的判断はされていない・・・・・・ことからすると、現時点において、同性婚を法制化しないことは憲法14条1項及び24条2項に違反するものの、これが国会にとって明白であるとか、国会が正当な理由なく長期にわたって法制化を怠っていたということはできず、上記立法不作為が、国家賠償法1条1項の適用上違法であるということはできない」として、控訴人らの請求を棄却した。


3.検討
 ここでは、原審である大阪地裁判決との比較で、本判決の注目すべき点を2つ指摘し、検討していきたい。
 まず、1つ目は、本判決が地裁判決で唯一の合憲判決であった大阪地裁判決を否定し、これまでの高裁判決に続いて違憲判断を示した点である。
 ただし、そもそも、大阪地裁判決も、「同性カップルと異性カップルの間の享受し得る利益の差は契約等により一定の範囲では緩和され得るということはできるものの、公認に係る利益のような個人の尊厳に関わる重要な利益を同性カップルは享受し得ないという問題はなお存在する」と指摘し、「個人の尊厳の観点からは同性カップルに対しても公認に係る利益を実現する必要がある」としている。そして、大阪地裁判決は、「現時点で法改正や新たな制度を設けることの具体的な検討がされていないからといって、必ずしも同性愛者の婚姻に関する権利が少数者の人権であるがために、その検討が遅れているとまではいえず、国会における今後の議論がおよそ期待できないということはできない」ことから、「今後の社会状況の変化によっては、同性間の婚姻等の制度の導入について何ら法的措置がとられていないことの立法不作為が、将来的に憲法24条2項に違反するものとして違憲になる可能性はあるとしても、本件諸規定自体が同項で認められている立法裁量の範囲を逸脱しているとはいえない」としていたに過ぎないのである(傍点筆者)。
 つまり、大阪地裁判決でも、個人の尊厳にかかわる重要な利益が問題となっていることを指摘しており、ただ、国会での議論に期待することで、立法裁量の範囲の逸脱を認めなかったに過ぎないのである。個人の尊厳にかかわる重要な利益が問題となっている状況を憲法的に問題がないという者はいないだろう。したがって、大阪地裁判決においても、同性婚が認められない現行法を憲法上の重要な問題として認識しており、ただ、その改善を立法府である国会に期待することで違憲判断を避けたに過ぎないのである。その意味では、他の判決と比較したとき、法的には、「大阪地裁判決は合憲判決であるといっても、それは政治部門への警鐘の鳴らし方(警鐘の大きさ)の違いに過ぎないと考えられる」 ※10のである。
 ただし、大阪地裁の合憲判決によって、(実際は、いずれの判決も同性婚を認めていない民法等の規定に大きな問題があるとしており、そのことについての政治部門への警鐘の鳴らし方が異なっているに過ぎないにもかかわらず)あたかも民法等の規定の憲法適合性の適否の結論に関する司法判断が大きく分かれていたかのような印象を、社会的、政治的に生じさせていたとすれば、そうした印象を払拭する意味において、本判決が大阪地裁判決を否定して合憲判断を示したことには、重要な社会的、政治的意味があるといえるだろう。
 2つ目は、大阪地裁判決が、「個人の尊厳に関わる重要な利益を同性カップルは享受し得ないという問題」を解決するための方法、すなわち、「同性カップルについて公認に係る利益を実現する方法は、現行の婚姻制度の対象に同性カップルを含める方法・・・・・・に限るものではなく、これとは別の新たな婚姻類似の法的承認の制度(これは、「登録パートナーシップ制度」と名付けることもできれば、「同性婚」と名付けることもできるものである。)を創設するなどの方法によっても可能である」とし、必ずしも現行の法律婚制度の対象に同性カップルを含める方法に限定しなかったのに対して、本判決が、「同性カップルについてのみ婚姻とは別の制度を設けることは、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑みると、新たな差別を生み出すとの危惧が拭えない」と指摘し、「近年パートナーシップ認定制度の導入・拡大が急速に進んでいることなどの事情は、本件区別取扱いが憲法14条1項に違反するとの・・・・・・結論を左右しないし、同性カップルについて諸外国において導入されているような法律婚以外の制度を設けたとしても、現時点において異性カップルと同性カップルの間に生じている不合理な差別を根本的に解消し得ない」とした点である。
 つまり、問題の解決の方法として代替的措置は不十分なもの※11であり、同性間においても、異性間と同様の法律婚を認めるしかないとしているのである。このことは、社会的、政治的意味に留まらず、法的意味においても重要な点であるといえるだろう。本判決に従うなら、憲法上の問題を解消する方法に、もはや選択の余地はなく、その意味において、憲法上、立法府である国会の裁量は否定されているのである。


4.おわりに
 本判決は、これまでに出されている4つの高裁判決と同様に違憲判断を示したものである。その点では、必ずしも画期的な判決とはいえないだろう。しかし、そうした本判決の判断は、近時の司法判断の大きな潮流に沿ったものであり、その点では、当然の判断を適切に示したものとして評価できると思われる。
 また、地裁判決で唯一の合憲判決であった大阪地裁判決の控訴審として、本判決が大阪地裁判決を否定した点には社会的、政治的意味があり、さらに、問題の解決の方法として代替的措置は不十分なものであり、同性間においても、異性間と同様の法律婚を認めるしかないことを示唆した点には、社会的、政治的意味に留まらない法的に重要な意味があると考えられる。
 ただし、本判決が、国家賠償請求を否定する理由として、特に「最高裁判所における統一的判断はされていない」ことをあげた点は、社会的、政治的、そして、法的にも、大いに問題であると思われる。もし、こうしたことを理由として認めるとすれば、「最高裁判所における統一的判断」が出されるまでは、「立法不作為が、国家賠償法1条1項の適用上違法であるということはできない」ことになってしまい、下級審における国家賠償法1条1項※12の適用上の立法不作為の違法性の認定は、ほとんどできないことになるだろう。
 さらに、本件事案に即していえば、そうしたことを理由に国家賠償請求を否定することは、国会で同性婚に関する検討が遅々として進まない現状を正当化することになってしまうだろう。以前にも述べたところであるが、「同性婚が認められない現状は、まさに深刻な人権侵害が継続している状態であり、その状態は、一刻も早く解消されなくてはならないはずである」※13
 そうであるならば、そうした状態を一刻も早く解消するための判断をすることこそ、司法の役割なのではないだろうか。


(掲載日 2025年5月27日)



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